■「かけ湯」の大事な目的とは?
私もそうだが、熱い湯が苦手だという人は少なくない。42℃よりも高い泉温だと、一瞬、湯船に浸かるのを躊躇してしまう。だが、湯船に浸かる前に、ある行為をすることで、私は熱い湯のほとんどを克服している。45℃くらいまでであれば、なんとか入浴できる。
ある行為というのは、「かけ湯」である。湯船に入る前に、体を湯で流すことだ。入浴前に体の汚れを落とすのが目的だが、かけ湯には、もう一つ重要な意味がある。 それは温泉の温度や刺激に体を慣らすこと。これをすることで心臓発作や脳卒中といった入浴中の事故を予防できるだけでなく、熱い湯にも対応しやすくなる。だから、とくに熱い湯に入る前は、入念にかけ湯をすると、体をびっくりさせずに、湯船に浸かれる。 かけ湯のポイントは、心臓と離れた部分から湯をかけていくこと。手足からはじめて、徐々に肩からかけるようにすると、体への負担が少ない。普通の泉温の場合は、だいたい計10回ほどかけ湯をすれば十分だろう。
■江戸時代から伝わる奇習
泉温が高い場合は、「かぶり湯」まですれば万全だ。頭から温泉をかぶるのである。個人差はあるかもしれないが、私の場合は、かぶり湯をすることで、熱い湯に入る準備が整う。5回ほどかぶれば、45℃くらいの湯はへっちゃらである。しかも、かぶり湯は立ちくらみ防止にもなる。 そんな「かぶり湯」を江戸時代から風習として行っている温泉が鳥取県東部にある。山陰最古の温泉地といわれる岩井温泉だ。平安時代の開湯と伝わる。3軒の温泉宿が並ぶ静かな温泉地の真ん中に、共同浴場「ゆかむり温泉」がある。白壁の蔵づくりが特徴だ。
「ゆ(湯)かむり」とは、手ぬぐいを頭にかぶり、柄杓を使って湯を頭からかける岩井温泉独自の風習のこと。つまり、かぶり湯の一種である。少しでも長く湯に浸かり、温泉の効能にあやかるために、「湯かむり唄」を歌いながら湯をかぶるのが特徴で、岩井温泉周辺の景勝地などが歌詞に盛り込まれている。こんな具合である。
ヤレヤレ初めのおとよ大阪京都や中国
四国に響きわたりし 岩井の温泉
効能は蔦より 承知の事なら
これからぽつぽつ八景口説だ
三つに四つは五つでも六つ七な八つは
はたちのねいさん
■毛根から湯がしみ込んでいく感覚
昨年、久しぶりにゆかむり温泉を訪ねた。さすがに昔ながらの湯かむりをしている人には出会えなかったが、浴室は10人ほどの地元の常連さんでにぎわっていた。
私がよそ者であることは一目でわかったのだろう。脱衣所で常連のおじいさんが、「どこから?」と話しかけてきた。「東京からです」と答えると、「こんな辺鄙な場所まで温泉に入りに来るなんて、よほどの変わり者か、風流人かのどちらかだな」と冗談を言って笑った。
内湯のみの浴室には、四角形と円形の湯船が並ぶ。源泉は47℃。手で湯加減を確かめると、けっこうな熱さである。湯船に入る前に、湯かむりの風習にならって、頭から温泉をかぶった。普段は5回ほどだが、15回はかぶった。毛根の一つひとつから、じんわりと湯がしみこんでいくような感覚が心地よい。
源泉かけ流しの湯船に浸かる。かぶり湯のおかげで、熱い湯も平気だ。気持ちよいほどに透明の源泉が湯船から大量にあふれ出ていく。湧出量が豊富な証拠である。若干、とろみがあり、肌によくなじむ湯だ。汗が噴き出してなかなか止まらないほどである。脱衣所で話しかけてくれたおじいさんの舌も滑らかで、湯の中談義に花が咲いた。
そういえば、湯かむりのときに歌う「湯かむり唄」は、なんと100番まで歌詞があるという。いくら湯かぶりをして熱い湯に慣れたとしても、私なら10番くらいでのぼせてしまいそうだ。昔の人は、100番まで必要なくらい長湯していたのだろうか。