ポーツマス条約の締結で、日露戦争の結着がつくや否や、調停斡旋した米国は動く。
日本が獲得した南満州鉄道(満鉄)の運営利権に口を出し始めたのだ。
米国の鉄道王ハリマンが、世界一周鉄道網構想の一環として、南満州鉄道を日米共同運用することを提案した。民間の動きとはいえ、背後に米国政府の思惑があることは明らかだった。
ハリマンが日本に乗り込んでの交渉で、ほぼ日米共同運営で了解に達しつつあった。
「なんという失態だ」と、日本への帰還途上にあった交渉の全権大使で外相の小村寿太郎は逆上した。
遡ること10年。日清戦争勝利で日本が清国(中国)から割譲された遼東半島を、ロシア、フランス、ドイツの三国による干渉で、返還させられた苦い経験が外務省にはトラウマとして残っていた。
“臥薪嘗胆”の10年を経て、多大な人命の犠牲と引き換えにやっと得た満州での地位をむざむざ放棄するものと、小村には映った。そして合意調印を延期させ、帰国後、白紙に戻させた。
元老たちが満鉄の日米共同運営に傾いた背景には、より大きな国益意識があった。
一つには、戦争で破綻した国家財政下で、やがて植民地化へと進む朝鮮半島経営に加え、南満州鉄道を通じた満州経営には無理があること。
二つめには、ロシアが再び、南下政策を取る場合、米国を含む欧州勢力を巻き込むことで、ロシアの野望への共同対処が可能だという国際力学上の判断である。
伊藤博文、井上馨ら元老に加え、桂太郎首相も、そう考えた。明治維新という革命期を生き抜いてきた明治の指導者たちは、想像以上に、客観的、柔軟かつ大きなスケールで国益を考えていた。
しかし、小村は違った。
「満州は日本の生命線。手放すわけにはいかない」という国益論は世論の支持も受けた。
提案を拒否されたハリマンは翌年、後の蔵相・高橋是清に対して、「やがて日本は(この決断を)悔いる時が来る」と予言した。
その後の歴史を見れば、日本は東北アジアの利権確保のため、米国と対立しながら無理を重ね、満州事変、満州国建国、日中戦争へと自滅の道をひた走ることになる。
小にこだわり大を失う。企業経営においても陥りがちな失策だ。真の国益、社益とは何か。リーダーであれば、目の前の利益にこだわらず、幅広い視野で10年先、半世紀先を見すえ決断する目を養わなければならないのだ。