皇室典範の規定
このほど天皇家(皇室)の世襲規定を定める皇室典範が改正された。要点は、減少する一方の皇位継承候補を補うため、戦後に皇族を離れて庶民身分となった旧皇族を復帰させて、世襲候補数を確保しようという点にある。世襲に関する本稿でまず皇室を取り上げるのは、少子化が急速に進む中で、世襲企業の後継者問題、一般家庭での墓守役の確保の問題への対処が急務となっているからに他ならない。
現行憲法のもとで、「日本国民統合の象徴」と規定される天皇の地位は、皇室典範という法律によって、「皇位は、皇統に属する男系の男子がこれを継承する」(第一条)と世襲原則を定めている。
しかし現状では、今の天皇には有資格者の男子はおらず、ただ一人の子の愛子内親王には、「男系男子」の制限の下では皇位継承資格がない。皇族全体でも男子の出生は少なく、現状で皇位継承権者は、天皇の男弟である秋篠宮文仁親王(第一位)、ついで同親王の長男である悠仁(ひさひと)親王(第二位)、天皇の叔父に当たる常陸宮正仁親王(第3位)の3人しかいない。これでは、安定的な皇位継承が危ぶまれることから、一旦皇族を離脱し臣籍降下した旧皇族を希望により皇族に復帰させることにした。
小泉政権時代には、女性天皇、女系天皇を容認する可能性も積極的に検討されたが、「男系男子」にこだわる保守勢力の強い抵抗もあり、悠仁親王の誕生もあって、沙汰やみとなった。ここまでが、最近の動きのおさらいだが、国会での議論と、主権者である国民への説明が十分でなく、国民の間では、「なぜ、天皇の長子である愛子さまには皇位継承権がないのか」という疑問がわだかまっている。
明治時代の明文化の経緯
その原因は、国会での議論が、「(父方を通じて天皇の血統を継ぐ)男系男子」規定の是非についての検討を避けたためだ。この問題は、皇室典範が定められた明治時代以来、議論の焦点となってきた。
皇位の継承は、古来、政治権力の介入を防ぐ目的で、不文律的に男系の血統で引き継がれてきた。歴史的には例外的に男系の女性天皇が即位した場合も、男系男子の血統をたぐって男性天皇に戻されてきた。
男系男子継承が明文化されたのは、明治時代に天皇を国家の主権者とする明治憲法の制定に合わせて成立した旧皇室典範による。その議論の経緯を見ておく必要がある。
明治22年(1989年)2月に公布された旧皇室典範でも、第一条に、「大日本國皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」とあり、現行の典範と同じだ。しかし、この制定過程では、ぎりぎりまで「女性天皇」容認が素案に盛り込まれていた。
素案づくりは、立憲君主制を目指す伊藤博文が側近に検討を命じた。公家(くげ)出身の柳原前光(やなぎはら・さきみつ)は明治10年代に駐露公使としてサンクトペテルブルグに勤務していた期間に、ロシア、オーストリアの王位継承制度が、男子の継承者がいない場合、女帝を認め、その後は女帝の嫡出男子への継承を認めていたのを参考に伊藤に具申し素案に盛り込んだ。
当時も安定的な皇位継承が優先検討課題であって、伊藤の頭の中にも女性継承を排除する考えはなかった。しかし、同じ公家でも岩倉具視(いわくら・ともみ)らは、「女性天皇を認めれば、その夫の家系の影響力が強くなりすぎるとして、「万世一系」の男子世襲を主張し、最後にひっくり返したとされる。
あくまで政治的に安定的な皇族の家系維持への考え方の相違であって、まことしやかに噂されるような、「女性天皇には、遺伝学的に父系で引き継がれてきたY遺伝子を持たないから万世一系の血が途絶える」などという理由ではない。
なぜ男系男子継承なのか
欧州の王室を見ても、女性の王位継承は時代の趨勢でもある。それで王位継承が不安定化するという考え方もない。
各種世論調査を見ると、女性天皇容認は、反対意見を大きく上回っている。日本経済新聞が7月に行った調査では、「女性天皇も女系天皇も認めるべきだ」が59%を占め、「女性天皇は認め、女系天皇は認めない」を合わせると、女性天皇を容認する声は84%にも上る。比較的保守的な世論を反映するとされる読売新聞の昨年12月調査でも「女性天皇に賛成」は69%、「女系も認める方がよい」も64%という結果だ。「男系男子」にこだわる政治は、主権者である国民の意識に追いついていない。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『皇室典範 明治の起草の攻防から現代の皇位継承問題まで』笠原秀彦著 中公新書

















