
5月18日、セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問 鈴木敏文氏がご逝去されました。
弊会ではセミナーでのご講演に加え、2020年に、鈴木氏が幹部や社員に繰り返し語った肉声から222項を厳選した『経営言行録』を出版しております。
ここに生前のご功績を深く偲び、鈴木氏の取材を25年以上にわたり続け、『経営言行録』を含め氏に関する数多くの著作を手がけてこられたジャーナリスト 勝見明氏に、日本の小売り・流通の姿を大きく変えた鈴木氏の挑戦し続けた生き方と、その経営哲学を語っていただく。
【鈴木敏文氏について】
1932年長野県生まれ。1956年中央大学経済学部卒業後、書籍取次大手の東京出版販売 (現・トーハン) 入社。1963年ヨーカ堂(現・イトーヨーカ堂) に移る。1973年に周囲からの反対を押し切り、日本初のコンビニエンスストア「セブン-イレブン・ジャパン」を設立する。立ち上げメンバーの多くが小売業未経験者であったが、素人集団を率いて、業界の常識をくつがえす数々の挑戦に挑み、コンビニを私たちの生活に欠かせない存在にまで進化させた。
2003年イトーヨーカ堂およびセブン-イレブン・ジャパン代表取締役会長兼CEO。2005年セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長兼CEO。2016年セブン&アイ・ホールディングス名誉会長に就任。2026年5月18日、心不全のため93歳にて逝去。
5月18日、逝去された鈴木敏文氏(セブン&アイホールディングス名誉顧問)は、言葉の力で組織を牽引する経営者だった。
「経営者と社員をつなぐのは言葉である」日本経営合理化協会より2020年に刊行された『鈴木敏文の経営言行録』で、こう語っている。
鈴木氏は、セブン&アイグループの経営を担ううえで、「変化への対応」と「基本の徹底」の2大スローガンを掲げた。
これを実践するため、鈴木氏は毎週毎週、社員たちに仕事の仕方と発想の方法をダイレクトに語りかけ血肉化させた。その言葉の数は何千何万にも上る。その中から222の語録を選んだのが『経営言行録』だった。
社員への講話だけでなく、多くの聴衆を相手の講演など、いかなる場でも原稿など用意せず、よどみなく語る。
では、本人は口達者かというそうではなく、子供のころは極度のあがり症だった。
旧制中学受験では口頭試問で何も答えられずに失敗。人見知りも激しく引っ込み思案。この性格を変えようと、学校の部活動では弁論部へ。弁論大会では、客席には一度も目を向けることができず、窓の外を見ていたという。
三つ子の魂百までで、経営者になってからも、「一対一で話すのは今でも不得手で雑談が続かない。30分も話すとネタが切れ、何を話していいかわからなくなる」と語っていた。
その鈴木氏が巧みに講話や講演ができたのはなぜか。
鈴木氏の次男で、セブン&アイホールディングスで取締役執行委員CIO(最高情報責任者)を務めた康弘氏が、かつて社会に出たころ、父親が大勢の聴衆の前で堂々と語る姿を見て、なぜ緊張しないのかと聞いたことがあった。鈴木氏はこう答えたという。
「知らないことを話すから緊張するんだ。自分の知っていることだけを自分の言葉で話せばいい」
日々の実践により、骨の髄まで染みこんで自分のものとなった知識だけを、具体的な例を挙げたりしながら話す。「極度のあがり症人間が身につけたコツです」と語ったものだ。
『経営言行録』に収録した語録もすべて鈴木氏自身の実践に裏付けられたものだった。
例えば、「みんなに反対されることはたいてい成功し、みんなに賛成されることはたいてい失敗する」。この逆説的な名言はセブン-イレブン創業の経緯に由来する。
1970年代初め、鈴木氏はアメリカ発祥のセブン-イレブンを日本に導入しようとして、社内外から「スーパー全盛の時代に小型店が成り立つはずない」と猛反対された。
実際、立ち上げ時は幾多の壁が立ちはだかった。それでも小口配送や共同配送を実現するなど、既存の業界慣習を打破して軌道に乗せた。
「目指すものを実現する方法がなければ自分たちで考えて道を切り開けばいい」の語録もここから生まれた。
一方、ボウリング全盛時代、ヨーカ堂社内でも参入しようとの声が多くあがったが、鈴木氏は断固反対を貫いた。参入が相次いだ結果、飽和状態になりブームは去った。
「新しい需要は常に店の外にある」。これもセブン-イレブンでのおにぎりや弁当の販売開始という挑戦に基づいている。日本型のファストフードの必要性を感じた鈴木氏が提案をすると、「そういうのは家でつくるのが常識だから売れるわけない」と反対された。
鈴木氏は「日本人の誰もが食べるものだからこそ大きな潜在的需要が見込まれる」「徹底的に味を追求して家庭でつくるものと差別化していけば必ず支持される」と販売に踏み切った。
反対論は「そういうものを売っても顧客のためにならない」と考えたのに対し、鈴木氏は顧客の視点に立って判断した。
「顧客のためにではなく、顧客の立場で考えろ」という顧客起点の経営論はこうして生まれた。
また、反対論は過去の経験や常識に縛られていたが、鈴木氏は未来に目を向けた。
「過去の延長線上ではなく、目指す未来から現在を顧みて、今何をすべきかを考える」という未来起点の発想もセブン-イレブン創業やおにぎり・弁当販売の成功に基づく。
セブン-イレブンの店舗にATMを設置して顧客の利便性を高めるため、流通業として初めて挑戦したセブン銀行の設立も、過去の経験則からの反対論を、顧客起点、未来起点の発想で突破した事例だ。
こうして数々の挑戦を積み上げてつくり上げた日本発のコンビニエンスチェーンは20世紀を代表するイノベーションとなった。
日本経済新聞が2000年末に「20世紀に日本人の生活や行動を大きく変えたもの」について消費者調査を行った結果、2位の携帯電話や3位のインターネットを抑え、コンビニエンスストアが第1位に選ばれている。そのモデルを生み出し続けたのが鈴木氏にほかならない。
独自の経営論はすべて自らの実践に根ざす。そのため、鈴木氏は「実務のプロフェッショナル」とも呼ばれた。
私は一度、京セラ創業者の稲盛和夫氏と鈴木氏の対談の進行役を務めた。
「仕事でミスをした社員に何と言うか」と質問をしたところ、稲盛氏は「有意注意で仕事をせよ」。理論派らしく、思想家の中村天風氏の言葉を引いた。
一方、鈴木氏は「ミスをしたことは早く忘れろ」。ミスしたことが頭から離れないと前へ進めない。だから、早く忘れて一歩前に踏み出せ、と。実務のプロらしい回答だった。
実務派の鈴木氏は組織のリーダーに何を求めるか。前述の康弘氏が、20代半ばでチームの主任を任されたとき、「人の上に立つうえで一番大切なことは何か」と尋ねたことがあるという。鈴木の答えは「率先垂範」。
「(父は)会長になってからも、毎日自ら弁当を試食し、休日には店舗へ足を運び、コンビニの棚を眺め、商品を手に取り、現場の空気を確かめた。それは視察ではなく、習慣だった。
部下に『顧客を見ろ』と言う前に、誰よりも自分が顧客の立場であり続けた。だから、言葉に力があった」と康弘氏は自身のWebマガジンで記している。
私もこんな言葉を聞いたことがある。
「私がもし失業したら、何の技術もない年寄りを雇ってくれるところはないでしょう。そんな人間でも経営者でいられるのは、社員に対し、いざとなったら私が代わりに答えを出すと言えるからです」
実際、東日本大震災の際、被災地に営業再開を希望するセブン-イレブンの店舗がありながら、商品配送車のドライバーが放射線の影響を懸念して配送に難色を示した。報告を聞いた対策本部長の鈴木氏は、担当者にこう指示した。
「運転手が確保できないのなら、なぜ、自分たちで運ぼうとしないのか。君たちがやらないなら、私が代わりに運転する」
常に実践において自分が範となる気概を持ち続けた経営者だった。
(執筆:勝見明氏)























