※本コラムは2025年9月の繁栄への着眼点を掲載したものです。
会長の牟田 學が、2025年1月25日に他界をした。
牟田 學の遺言にて、「ガックリとくる人も多いだろうから死後できる限り伏せろ」と何度も言われていた。それで半年たった7月25日の全国経営者セミナー最終日の挨拶の場での公表とした。ここまで皆さんに黙っていたことをお詫びする。発表した際のどよめきの声、多くの方が涙を流されていた。いかに牟田 學が愛されていたか、私も泣いてしまった。
「自分の死をできる限り伏せろ」とは、武田信玄の死生観への共感や憧れもあったのだと思う。ただ、武田信玄の時代でも一年で広まったことを考えると、SNSなどが発達したこの時代、半年がせいぜいだろうと考え、半年後に公表とした。
この半年間、牟田 學の死を知らずに他界をされた方も多かったし、第一線から引退された方も多かった。その方々のことを考えると今はただただ良かったのだと思う。
私は、1月22日から24日まで全国経営者セミナーでパレスホテル東京に詰めていた。22日の朝食を食べ、ゆっくりしていたが昼から発熱し昏睡状態となった。その後、呼吸が止まったり吹き返したりを繰り返した。母は心配させてはいけないと私には知らせず、私が知ったのは懇親会も終わり家路へと向かう車内でのことだった。
実家に付くと、苦しそうにしていた牟田 學であったが、手を握り、「無事に終わりました」と伝えると、驚いたことに呼吸は静かになり熱が下がったのだ。「私を待っていたのか」と涙が止まらなかった。
翌日も同じような状態だったので、「持ち直したね。流石は佐賀の男だ」などと姉弟で話をしていたが、その夕刻、静かに眠ったまま旅立った。綺麗な夕陽に包まれ、自宅で家族全員に見守られながら亡くなる人は意外と少ないそうだ。「そういう方だったのでしょう」というお医者様の言葉が残った。まさにそのように思う。
本名は、牟田 學(まなぶ)ではあるが、いつの頃からかコンサルタントネームとして牟田 學(がく)と名乗るようになった。あれだけ仕事一筋の人間だ。どっちが本名なのか最後は分からなくなっていたのではないか。実際に保険の契約書に、「ムタ ガク」と書いてあり修正が大変だった。理事長就任パーティーの際に宣言していたように中小企業の成長一筋に最後まで生きた人だった。父の姿を見てきて、私もそうありたいと思う。
仏教用語で、「輪廻」という言葉がある。生まれ変わりのことをいう。誰かに聞いたことがあるが、人は意外と近い場所にまた生まれ変わるそうだ。もしそうであるならば、私も生涯を全うし、生まれ変わるならば、もう一度、牟田 學と親子をやりたい。
それなので、「また会いましょう」
中小企業の成長発展のために、私もこれからも尽力するつもりだ。
「たとえ明日この地球が滅びようとも、今日私はリンゴの樹を植える」
※本コラムは2025年9月の繁栄への着眼点を掲載したものです。




























