もし私が「一番憎い人は誰か」と聞かれたら、「アメリカ第三十二代大統領フランクリン・ルーズベルト」と答えるであろう。彼が憎いのは、日本を敗戦国に追い込むほど偉大だったからである。
「敵ながら天晴れ」と言いたいところだが、豊臣秀頼は徳川家康を「敵ながら天晴れ」とは言わないであろう。いかに徳川家康が客観的に見て偉大な人物であったとしてもである。私もその秀頼の気持ちに近い感情をこのアメリカの大政治家に対して抱いている。
ルーズベルトは明治十五年(一八八三)にアメリカの富豪でも名門でもある家に生まれた。父は大地主で鉄道会社の副社長であり、母はニューヨークの金持ちの実業家である。
妻は二十六代大統領セオドー・ルーズベルトの姪であり、彼自身もこの大統領の遠縁である。二人の結婚式には大統領自身も出席した。家系といい、経済力といい、アメリカの代表的な名家である。
ルーズベルトはハーバード大学を出るとコロンビア大学のロー・スクールで学んだ。学生時代はスポーツを好み、射撃、ポロ、猟犬を使った狩猟、テニス、ヨットなどを好んだ。また仕事に、慈善事業に、社交に、世間の注目をひく若者であった。
こういう青年をアメリカの政界が放っておくわけはなく、二十八歳で民主党のニューヨーク州上院議員、三十歳で再選し、その間、進歩的な政策をふりかざして、目ざましい活躍をする。
ウィルソンの大統領選挙に功績が認められて海軍政務次官みたいなポストをもらう。彼は子供の時から軍艦の絵を集めるのが好きだったし、海軍には深い関心を持っていたのである。
また海軍省こそは、そこを土台にして遠縁のセオドー・ルーズベルトが大統領になったところでもある。この地位にいる間にルーズベルトはマハンの「制海権が歴史に及ぼした影響」という本を徹底的に理解したらしい。
彼の在任中に第一次世界大戦が起こったが、そのときも海軍力増強の主唱者であった。ドイツの潜水艦退治のため110フィート駆潜艇を四百隻も作らせたのは彼である。
その後女性秘書との関係がバレたり、小児麻痺になったりしたが、いずれも乗り切ってニューヨーク州知事になり、一九二九年のニューヨーク株式暴落で引き起こされた大不況のさなか、一九三三年に大統領に選出された。そしていわゆるニュー・ディール政策を引っさげて大不況を乗り切ろうとした。
ニュー・ディールとはとりもなおさず「富の再配分」ということで、社会主義的色彩の濃いものであった。それで農家や労働者の人気は高かった(ヒトラーと同じことである)。それで私有財産の保護を規定した憲法違反で訴えられ連邦最高裁が彼の政策の一番の邪魔になった(ヒトラーのドイツと違うところ)。
そこで最高裁の裁判官を六名新任する権利を与えられることを求める法案を出したが、議会は「これはヨーロッパで独裁者が権力を握ったのと同じやり方だ」といって否決された(これがヒトラーと違っている点で共和党の意味がよく分かる)。
それでも彼の重視した社会主義的立法は、最高裁で五対四で勝ったので、彼の政府は経済政策に関してほとんど無制限の権力を与えられたことになる。「大きい政府」のはじまりである。そしてこの権力を駆使して彼は大戦争に向けての軍備をととのえることになる。
彼は一九三三年(昭和八年)の最初の頃の閣議で、日本との戦争の可能性を論じ、数ヵ月後にはすでに海軍増強の予算を発動している。日米戦争勃発の八年前だ。
後に彼の敵となる東條英機は彼より一歳若いが、この頃は陸軍少将になったばかり、しかも翌年には陸軍士官学校幹部、次いで歩兵第二十四旅団長に左遷されており、国家の中心的権力からは遠い所にあった。
一方アメリカはこの頃から大統領が一貫した反日的対日政策を持っていたことが分かる。日本はそれから内閣が十回も変わってようやく東條内閣になるのだから、日本の政策は多分に泥縄式なのに、アメリカはリーダーが一貫している。そう言えば、ドイツもソ連もリーダーは一貫していた。
ヨーロッパで戦争が始まると、中立国と称しながら、アメリカは中立国とは言えないような武器援助をイギリスにやる。そして世界大戦に備えて軍備大拡張の生産基盤をつくってゆく。
イギリスやフランスは第一次大戦の借金を返し終わっていなかったので、アメリカの法律では武器を買う金を貸すことが禁じられていた。それで武器そのもの、飛行機そのものを借す、という名案を思いついたのである。
原子爆弾の開発も早々と進める。日本に対しては石油をはじめとする物資を「売らない、売らせない」という政策で締め上げる。そして共産党員の作った外交文書(いわゆるハル・ノートだがハルは製作に関係していない)を日本につきつける。これは実質上の国交断絶書であった。
かくして対米戦争が始まった。ルーズベルトは左翼好きで、チャーチルよりスターリンを重んじ、大西洋憲章にも反してソ連に極東侵略を許した。アメリカ人にとって史上初の、そして最後の四選を果たした偉大な大統領だが、日本人として私は憎む。
渡部昇一
〈第31
「ルーズベルト秘録」(上・下)
産経新聞ルーズベルト秘録取材班 著
産経新聞ニュースサービス;扶桑社 刊
上下巻、各700円(税込)