核戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機に際して、米国大統領ケネディが最高執行会議(EXCOM)での議論をリードし、決断した方法は意外な ものだった。
ケネディは議論の場に加わらなかったのだ。無責任なのではない。
絶大な権限を持つ大統領が出席すれば、だれもがその顔色をうかがい、普段は個性の強い独自の意見を持つものでさえ、保身のために大統領の耳に心地がよい意見を披瀝する。
「それを避けるためだ」と、大統領への献策をまとめあげた弟の司法長官、ロバートは、のちに振り返っている。
「案は一つでなくてもいい、議論を尽くして、即時軍事侵攻案であれ、外交交渉案であれ、互いに対立案の長所、問題点を洗い出せ」というのが大統領の指示だ。
当初から、大統領の頭には、軍事力行使のオプションはない。しかしそれは示さない。
議論を経て、二案に煮詰まってきた。
キューバへこれ以上のミサイルを持ち込ませないための「海上封鎖案」と、「即時軍事行動案」だ。
それぞれに対立派からの精密な批判を受けることによって、具体的に肉付けされてきた。
封鎖案は、法的根拠と効果、船舶停止と臨検のための軍事的手続き、軍事行動への転換のタイミングが、即時軍事行動案は、効果的な攻撃地域の選定、国連の反発への対応、中南米諸国の説得策が、それぞれ詳細に具体化してくる。
極秘のうちの議論が始まって五日目。詳細な二案の提出を受けた大統領は、決断を下した。
「まず海上を封鎖し、それでもソ連が強硬姿勢を示せば、武力行使も辞さない米国の強い意思をフルシチョフに伝える」
安易な折衷案か。違う。議論を尽くした上で組み立てられた精緻な総合案なのだ。
対立を尊重した上で信頼する部下に将来を踏まえた手順を作成させる。そして全責任を取って決断する。それがリーダーの使命であり、求められる資質なのだ。
強力なトップにへつらって議論を尽くさず、曖昧な方針で見切り発車して陥穽にはまる、そんな危機管理の失敗例は枚挙に暇がない。
最近では、誤報問題の処理をめぐって、謝罪と強硬突破の間で揺れ、いつまでも社会から指弾を浴び続ける某新聞社の対応。ケネディの決断と比べれば、何が違うかが分かる。
1962年10月22日夜、ケネディはテレビ演説を通じて国民に危機の発生と、海上封鎖の実施を知らせ、「国民の団結」を呼びかける。
そして、海上封鎖のための海軍艦艇をカリブ海に集結させた。望まないシナリオであっても武力行使の可能性に備えて、陸、空軍部隊をキューバに近い南東部に移動させることも指示した。
あとは、ソ連首相フルシチョフの出方にかかっていた。 (この項、次週も続く…)