漢王朝を開いた劉邦の将・韓信(かんしん)は、井陘(せいけい)に破った敵の将軍・李左車(りさしゃ)の意見を入れ、戦わずして燕国を手に入れた。
必勝の建策を斥けられ敗れた李左車(りさしゃ)にかつての自分を見たことを、前回触れた。
若き韓信は、下臣の意見など聴かぬ自信家の楚王・項羽に辟易(へきえき)として、対立する漢王・劉邦の幕下に入った。実は韓信はその劉邦の下からも逃げ出したことがあった。劉邦が自分をチンピラ扱いしてまったく重用しようとしなかったからである。
その韓信の才を見抜いていた男がいた。劉邦の丞相(しょうじょう)だった蕭何(しょうか)である。
幾度か劉邦に韓信を用いるように具申していた蕭何は逃げた韓信の後を追う。韓信の逃亡など意にもかけなかった劉邦も、右腕と頼む丞相が陣から姿を消したと聞いて、「何? 蕭何までおれを見限ったか」と天を仰いだ。
その蕭何が戻ってきて王・劉邦の前に出る。
「韓信を説得しに追っておりました」と蕭何。「出まかせ言うな。諸将が居並ぶ中で、韓信ごとき追うてどうなる。お前も逃げようとしたのであろう」と王の怒りは収まらない。
蕭何は言った。「並みの諸将なら、いつでも容易に手に入るでしょうが、彼は二人とない傑物です。王がいつまでも辺地の漢中王で満足なら韓信を使う必要はありません。天下を取りたいのなら彼を重用なさいませ」