中国の戦国時代に書かれた『韓非子』には、君子(指導者)が実践すべき七つの行動原理(七術)の二つとして、信賞と必罰を挙げている。
「何を今さら」「当たり前だろう」と思われるかもしれないが、なかなか守り難いから、著者の思想家・韓非はあえて強調している。まずは必罰である。
〈法を犯した者は必ず罰して、威光を示すこと〉
「愛情が多すぎると、法は成り立たず、威光を働かせないと、下の者が上の者を侵す。刑罰を厳しくしなければ、禁令は行きわたらない」として、わかりやすい例を挙げて解説している。
〈麗水という川には砂金がでる。私的な採金は法で禁じられ、捕まれば磔(はりつけ)にされるが、金を採る者はあとを絶たず、処刑された死体で川がせき止められるほどになった。これはうまくすれば捕まらず、一攫千金も夢ではないからだ。たとえば、「お前に天下をやる。そのかわり命はもらう」と言われたとする。必ず殺されるとわかっていれば、天下をもらおうと名乗り出るものはいない〉
必罰の威光が行き届いているかどうかが、大事だ。見逃しの例外と抜け道をつくってはならない。
続いて「信賞」である。
〈功労者には必ず賞をあたえ、全能力を発揮させること。賞が薄く、かつあてにならないならば、臣下は働こうとしない、賞が厚く、かつ確実に行われるならば、臣下は死をもいとわない〉
その例としてこういう。
〈魏の武候の武将に、孫子と並び称される兵法家の呉起(ごき)がいた。呉起は、西河地方の守りを任されて、国境近くにある敵の砦を取り除こうと考えた。地元の農民を動員するために、北門の外に一本のかじ棒を置いて、こんな布告を出した。
「この棒を南門まで運んだ者には、上等の土地と屋敷をとらせる」。布告を信じかねてだれも動かない。やっと運ぶものが現れたので、約束通りの土地と屋敷を与えた。
呉起は続いて、東門の外に赤豆一石を置いてまた布告を出す。
「豆を西門まで運んだ者には、前回と同じほうびをとらせる」。すると農民たちは先を争って運んだ。
そこでいよいよ肝心の布告を出した。「明日、砦を攻めるが、一番乗りしたものには、上等の土地・屋敷のほかに大夫の地位をあたえよう」。臆病な農民たちも、先を争って砦に殺到し、たちまちこれを占領した〉
労が必ず報いられると信じられれば、動かぬ社員などいないのである。