前回、信賞必罰の重要性について書いたが、『韓非子』では、「賞罰の権限を臣下に任せず、自ら賞罰をおこなえ」と説いている。
賞罰、すなわち人事権こそ、組織統率の力の源泉だからだ。
「世の姦臣は、自分が気に入らない者を自分で罰して遠ざけようとし、気に入った者に自分で賞をあたえようとする。もし君主が賞罰の執行権を自ら行使せず、臣下に任せたなら、国中がその臣下を恐れて君主を甘く見る。人心は君主を去って臣下に集まる」と警告する。
斉の王(簡公)の臣である田常(でんじょう)は、王を言いくるめて、自分が気に入った者に爵位を与えさせた。また、人民から税を取り立てる時には小さな升を使い、米を貸し付ける時には、大きな升を用いて、人心を買った。こうして賞罰のうちの「賞」の権限を巧みに自分のものとして、権力を手に入れ、結局、王を殺して国を乗っ取った。
逆に、宋のある臣は言葉巧みに君主から罰の権限を奪う。「賞をあたえれば人民は喜びます。こちらはご自身でなさいませ。人民に怨まれる罰の方は、私が引き受けましょう」
「それはそうだな」と王は、罰の権限を手放した。この臣は王側近たちを次々とほしいままに罰して王はその地位を脅かされるに至った。
部下が有能であればあるほど、組織トップは、「賞罰権限ぐらい任せようか」と考えがちだが、「このような国(組織)は危機衰亡を免れない」と『韓非子』は警告している。
また、同書は人事・組織運用について、「君主は、自らの好悪を臣下にさとられるな」と意外なことを説いている。
〈有能な人材を取り立てるに越したことなはない。だが、有能な人材こそ、君主の好みに合わせて行いを変え、本音を隠すようになる。逆に君主が何を嫌うか知られてしまえば、臣下は嫌われるような言動をあえて控える〉
君主が好悪の感情を表に出すと、有能な部下であるほど、君主の内心を忖度(そんたく)して、表面をつくろい、平気で嘘をつくようになる。
官僚的な基準での有能な人材とは、そういう者と心得て接する必要がある。人事権を一手に掌握すべきトップであればこそ、部下の言動が“おもねり”の行動か、忠誠心によるものか、を見抜く必要がある。