江戸時代の儒学者の荻生徂徠(おぎゅう そらい 1666-1728)は異端の人である。儒学者でありながら、朱子学のような四角四面の、“ためにする”四書五経理解を「役に立たぬ」と排斥した。
まず現実があり、現実に沿って儒学の古典を読み直すことで、そこに盛られた古代の聖賢の智恵を学ぶべきだと指摘した。そうした観点で綱吉、吉宗という徳川家の総帥に行き詰まった幕府統治の改革を説いた彼の論は平易で、多くの示唆に富む。
徂徠は、上に立つものが部下の意見を正しく吸い上げる重要性を言う。
まずは心構え。「すべて上に立つものは、得意な方面があることは良くない」と意外なことを言う。
理由について徂徠は、「ある分野に熟達していると、たとえ自慢しなくても、人情の常として、その分野に関して他人の意見は決して聞き入れようとしないからだ」と解説する。
この点について、儒教古典の『書経』から、「上に立つものは、特別な技能はなく、心が寛大で包容力があればよい」という一節を引用している。"能なし"でよいわけがない。専門をひけらかすなということだ。
下から意見が上がれば、論争は避けよともいう。「ちょっと違うな」と思っても、まずは、「よくぞ言ってくれた」と誉める。
「少しばかり学があると、部下の意見が少し違うと上から教えてやろうとし、その意見を半ば認めて、半ば押さえつけようとするが、これははなはだよろしくない」
そんなことをすれば、組織内に上下の区別、秩序がなくなるとの意見が出そうだ。そうした秩序優先意識を徂徠は、「もってのほか」と断じている。
「すべて下から上には物が言いにくい」。だからこそ、まず『おや』と思う点が進言にあれば、そこを誉めてやる。上司は、われわれのような者の意見でも聞いてくれるとなれば、部下の励みとなる。逆に叱られて、つまらぬことを言ってしまったと部下が考えることになれば、やがてだれも物を言わなくなってしまう。
組織の風通しの問題である。
しかし、これだけでは、馴れ合いの組織運営に堕してしまうだろう。
「先日のお前の意見はもっともだ。しかし、この点で必ず行き詰まるぞ。さてどうする?」と一呼吸置いて助言することが必要だと、徂徠は付け加えることを忘れない。
となれば、部下は提案の改善策を積極的に考え始めることになる。
しばらく徂徠の組織運営の智恵に耳をかたむけてみよう。