荻生徂徠が徳川将軍家に向けて組織運営法を説いた時代は17世紀の初めで、徳川幕府が開かれておよそ100年後のことである。太平の世が続き、組織運営がぎくしゃくしはじめていた。
徂徠は、執政(老中)の“有りよう”について心得を説いている。
「執政(老中)の職にある者は、言葉づかいや容姿を慎み、下の者に向かって乱暴な口をきかず、無礼のないようにせよ」
執政とは、現代の企業社会なら、さしずめ取締役、重役といったところか。
「何を言うか、くだらん。重役なら、部下を叱咤して仕事をてきぱきこなせば十分で、言葉づかいや容姿にこだわるのは仕事ができぬ人間のたわごと」との反論が聞こえてきそうだ。
そんな反論も想定して徂徠は言う。
「元禄のころまでは、どの執政もこの心がけがあったが、近頃ではそれが乱れてきている」。その原因として、「学問のない人こそ、高遠なことを嫌い、手短に仕事を処理しようとする」ことを挙げて嘆く。
―ごちゃごちゃ言ってないで、さあ、仕事、仕事、という姿勢ではだめなのか?
「才知のある人こそ自分の才知を発揮しようとして容姿や言葉づかいの慎みが崩れる。しかしよく考えてみなさい」。彼は話を進める。
「執政の職分の第一は、自分の才知の発揮にあるのではない。部下の才知を活用し、下の者を育成して、有能な人材を多く輩出することにあるはずだ」と。
「自分の才知を発揮するのは、諸役人(現場)の職務であって、執政の職務ではない」と戒める。
―何? 言葉づかいや容姿に気をつけて、自分を重々しく外面をつくろえというのか? ばかばかしい。
「そんな表面的なことじゃない」と徂徠の口調に熱が入る。
「職分が重くなれば、たたずまいが重々しくなるのは当然だ。重々しければこそ、部下はそういう上司を敬い、上司の命令に従う。言葉や容姿が粗末で、部下にぞんざいな口をきくような上司は、部下の才知も活かせず、かえって部下に煩わしく干渉するものだ」
こんな態度では部下は心服せず、「必ず政務に支障をきたす」、と彼は警告する。
「そんなことでは、将軍さま(社長)の方針も下の方まで徹底しないだろう」。それが徂徠の言いたいことの核心だ。
もちろん、現代と社会背景は異なる。しかし重役の佇まいと職務について、何か汲み取れるものがあるのではないかと考え、紹介した次第である。