ジャック・ウェルチの企業変革の特徴は「アクションの過激さ」
1981年に46歳の若さでCEOに就任したジャック・ウェルチは、即座にGEの変革に動き出した。変革のテーマは主として3つ。第1に、複雑で官僚的な組織を単純で筋肉質の実行志向の組織に変える。第2に、従来の実績に着実に上積みしていく目標設定に代表される、保守的で連続的なメンタリティを、飛躍的な成長と利益を目指す攻撃的なものに変える。第3に、国内(北米)に偏った内向きの事業展開を、グローバルに稼げる構造へと変える。このように、ウェルチが掲げた企業変革のテーマは、言葉にすれば「ありふれたもの」だった。
ウェルチのGE改革が普通ではなかったのは、次から次へと打ち出したアクションの過激さにあった。おそらくウェルチによる数々の意思決定のうち最も有名なものは、いちばん最初に打ち出された「ナンバー1、ナンバー2戦略」だろう。市場における地位が1位もしくは2位でない事業は、早々に1位か2位になれるように立て直さなければならない。それができない事業はきっぱりと撤退、閉鎖、売却する。「集中と選択」といえばそれまでだが、意思決定基準の単純さと実行の徹底ぶりにおいて、このウェルチの施策は社内外に衝撃を与えた。
「ナンバー1、ナンバー2戦略」を阻む壁
「ナンバー1、ナンバー2」の基準に忠実にウェルチは事業構成の再構築を実行した。その結果、短期間のうちに数多くの事業に撤退の決定が下された。当時、とくに耳目をひいたのが家電分野からの撤退だった。かつてのGEは家電のトップブランドとして北米市場に君臨していた。しかし、日本企業をはじめとする競合他社に押され、GEの家電事業部門は市場シェアを失っていき、80年代になると「ナンバー1、ナンバー2」は過去の話になっていた。
家電だけでなく、通信や資源系の事業など、規模からいえば決して小さくないものでも、「ナンバー1、ナンバー2」の存続条件を満たさない競争ポジションに劣る事業については撤退が即断された。
前回で見たように、81年時点でのウェルチ政権には企業変革を困難にする条件がすべてそろっていた。その中でも最大の障壁が前任のレグ・ジョーンズの時代を通じて達成されてきた好業績だった。「なぜ世界に冠たる優良企業のGEが変わらなければならないのか?」というのが、GEのマネジャーの多くに共通の反応だった。
数多くの事業からの撤退に対しては、当然のことながら社内の当事者からの反対の声が上がった。家電事業の当事者からしてみれば、「ナンバー1、ナンバー2」でないというだけで切り落とされてしまうというのはあまりにも間尺に合わない。例えば家電事業。GEの多くの事業は(今も昔も)BtoBだ。その中で、家電は数少ないBtoCの事業分野。GEのブランドをつけた製品がアメリカの多くの家庭に入っており、GEの名前を消費者に広めるのに歴史的な役割を担ってきた。そのブランド価値を考えれば短期的な競争ポジションだけで割り切ってしまうのは早計ではないかという反論である。
嫌われ者変革者「ニュートロン・ジャック」の実行力
ところが、ウェルチはこうした事業をスパッと切ってしまう。理由は「ナンバー1、ナンバー2でないから」。あくまでも自分が打ち出した基準に忠実に意思決定し、実行している。「戦うことではなく、勝つことが目的だ」というのが超現実主義者ウェルチのスタンスだった。
「ナンバー1、ナンバー2戦略」と並んで、ウェルチによる初期のGE改革を特徴づけたのは、組織とマネジメントの徹底した簡素化、スリム化だった。ウェルチがCEOに就任した当時の従業員は40万人だったが、中間管理職を中心に「リストラ」を進め、80年代後半の従業員数は30万人を切ることになった。
最も象徴的だったのは、本社の戦略スタッフの人員を一気に半分に削減したことだった。本社の戦略スタッフと言えば、ジョーンズの時代はGEを動かしていく「ベスト&ブライテスト」の集団として自他ともに認める存在だった。それをウェルチは問答無用で半減した。
CEOに就任して数年を経ると、ジャーナリズムはウェルチに「ニュートロン・ジャック」というあだ名をつけた。中性子爆弾男。「ひとたび意思決定をすると、生命体はすべてやられるけれども、建物や設備は残っている」という意であった。20年後に退任するときは「20世紀の偉大なリーダー」と称賛されたジャック・ウェルチも、当初の数年は過激な破壊者、嫌われ者の「ニュートロン・ジャック」だったのである。