「勝(海舟)は薩長の手先なのではないか」という疑念は、幕臣の中に根強くあった。
確かに勝は西郷隆盛との談判で平和裏に事態を打開したいとの気持ちを強く持っている。だが、相手が武力に訴えるなら応じようじゃないかとの気概もある。武士なのである。
前将軍の徳川慶喜から幕府軍を預かった当初、「戦(いくさ)になりゃ勝てるさ」と幕閣たちを前に主張している。
新政府軍が駿府から箱根を越えるには、富士川までの間に山が海に迫る狭隘な道を通らねばならない。敵をここにおびき寄せて、幕府側が圧倒的戦力を持つ海軍の艦隊で艦砲射撃を加え、退却する敵に先回りして艦隊から兵を揚陸する。挟撃して撃滅する作戦だ。
その勢いで艦隊を一気に大坂に差し向けて新政府軍を混乱に陥れる。「勝算はある」と勝は力説している。
西郷にも江戸城内での軍議は聞こえていたであろう。だからこそ「幕府は海軍で勝てるが自重している」という書に西郷は逆上し、そして談判に応じる姿勢を見せたのである。
究極の手は封じつつも「そっちがやる気ならこちらもやる」との気合は、剣術の間合いそのものだ。強がりでは通じない。実行の裏付けがあってこそ、相手は恐れる。弱気で交渉に臨めば譲歩を迫られるばかりとなる。
さらに新政府軍が江戸に近づくと、勝は、江戸焼き払いを決意する。自ら江戸中を駕籠(かご)で駆けまわり、火消しの棟梁、侠客の親分たちに、火付けの策を持ちかける。
「勝さんに直々に頼まれたんじゃ断れねえ、合点承知だ」。意気に感じて火消したちは市中各所に散らばり待機した。
戦史をひもとけば、さかのぼること半世紀前にナポレオン率いるフランス軍を迎え撃ったロシア軍がモスクワを焼き払い、勝利につなげた先例がある。(当連載「万物流転する世を生き抜く<27>」参照)
勝はフランス軍事顧問団から聞いていたのかもしれない。
江戸市民を房総へ逃すための大量の船を用意するなど計画は周到に準備された。国際外交場面で多用される瀬戸際戦術(ブリンクマンシップ)における脅しは単なるパフォーマンスでは効果がない。本気度が問われる。
「さあ、来い」。江戸焼き払いの準備が整い、勝は品川に入った西郷に急ぎ手紙を書いた。
「面談いたしたい」 (この項、次回に続く)