(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
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- 故事成語に学ぶ(26) 衆端に参観す(しゅうたんにさんかんす)
事実見極めの術
前回触れたように、とんでもない噂でも三人が言い立てると事実としてまかり通ってしまう。上に立つ人間としては、人の評価も含めて事実の把握は面倒であり、重要である。
思想家の韓非が、著作『韓非子』のなかで、君子(リーダー)が備えるべき七つの心得(七術)の第一に、「多くの意見(衆端)の中で事実を確認するためには、種々の意見を突き合わせて調べること(参観)」と挙げているのは、その重要さを知るがゆえであった。
意見を吸い上げるルートを固定するな
韓非は、種々の意見を突き合わせて調べるにあたって、やってはならないことをまず挙げている。「臣下の意見を聞くのに、取り次ぎのルートを固定してはならない」ーこれが大原則だ。情報を上げさせるルートがいつも同じだと、間に入る側近が、リーダーの目を覆い隠して事実を見えなくしてしまうからだ。
戦国時代の衛の国では霊公が王の時代に、弥子瑕(びしか)という側近が王の寵愛と信任を一身に受けて国政を仕切っていた。情報ルートを彼が牛耳り、正しい情報は王の耳には届かなくなっていた。誰も弥子瑕が怖くてそのことを言い出せない。そこである道化が比喩をつかって王をいさめた。韓非が引用するエピソードである。
「本来、リーダーの威光というのは太陽のようなものです。その光はあまねく天下を照らすもので、何ものかがその間に入って光を遮ることはできません。しかし、今の王の威光はかまどの火のようなもの。だれか一人がその前で暖をとると、後ろの人々にはその火が見えなくなります。どうやら王さまの前で暖を取っているものが一人いるようです」
この諫言か効いたのかどうか、弥子瑕はやがて王の寵愛が消えて処刑された。
普段から自由に意見が言える風土を
韓非はまた、こんな例を挙げている。
弁論家の江乞(こうきつ)が楚(そ)の国を訪ね、その風土を見聞した上で楚王に尋ねた。「いろんな人に聞いてみると、〈楚では、だれもが他人のいいところを褒めそやし、悪いところは言わない〉と言いますが、本当でしょうか?」。問われて王は自信満々に答える。「その通りだ」。
江乞はきつく意見した。「それなら、下克上の内乱が起きれば、楚の国は危ういですぞ。なにしろ、皆がその悪だくみを知りながら黙っているでしょうから」
国家であれ企業であれ、〈正しいことは正しい、おかしなことはおかしい〉と、組織の末端で自由に言いあえる風土がないと、意見聴取など、事実把握のための意味をなさなくなってしまう。
なにやら、日曜ドラマの『集団左遷』の舞台である三友銀行のような話になってきた。ドラマの今後の展開で言うならば、トップの頭取まで悪だくみに一枚噛んでいたとなると、もはや下克上しか企業を救う道はなくなってしまう。
なかなかの視聴率を稼いでいると言う。銀行員のみならず、宮仕えに汲々としている視聴者たちが、「そうそう、うちもそうだよなあ」とうなづきながら画面に見入っているのであれば、ちょっと怖い図である。
※参考文献
『韓非子 2』金谷治訳注 岩波文庫