※本コラムは2022年8月の繁栄への着眼点を掲載したものです。
サグラダファミリアは、スペインのバルセロナのシンボル的な存在であり世界的に知られている建築物だ。私がサグラダファミリアのことを最初に知ったのは学生時代の教科書だ。教科書に載るほどの建築物は珍しいのではないか。未完成でありながら世界遺産にも登録をされている。
その名前は、日本語で「聖家族」といい、イエス・キリスト、聖母マリア、養父ヨセフのことを指す。
アントニ・ガウディの作品として知られるが、実は初代はフランシスコ・ビリャールで、設計を引き受けたが意見の対立で辞任、その後1883年にアントニ・ガウディが引き継いでいる。ガウディはそのときわずか31歳だった。
ガウディは1926年に亡くなるまで、ほとんどの時間をサグラダファミリアの建築に捧げた。着工から100年以上が経過しているが未だ完成しない理由は、完成図がガウディの頭の中にしかなく、残っているのは1枚のスケッチのみだからとも言われている。
その建築作業は、新しい部分を作るのと同時に、既に完成した古い部分の補修を同時に行わなくてはいけない。
「300年かかっても完成しない」と言われていたサグラダファミリアだが、ガウディ没後100年に合わせて2026年に完成を目指していると聞いた時には驚いた。急激に完成が早まった理由が最新のIT技術のおかげだと聞いて二度驚いた。コンピューターを駆使した設計技術の発達、3Dプリンターの発達だという。そこかと。
しかし、「2026年完成」に対して賛否が寄せられている。完成を喜ぶ人が多い反面、何故反対が多いのか。そこには、「完成しない美学」という哲学が存在するからだ。会社もそうではないかと最近思う。
誰もが急成長を夢見るし、そういう会社を羨ましいとも思う。だが、その急成長の陰には急失速のリスクも隠れている。
であるならば、前述のように「新しい部分を作るのと同時に、既に完成した古い部分の補修を同時に行う」ことによって成長スピードを無理のない範囲に設定しリスクを軽減するのも一つの考え方である。「どちらがいい」とか「どちらでないといけない」などではなく社長の考え方だ。実に面白い。
故岡本太郎氏は、「積み重ね」ではなく、人生は「積み減らし」という言葉を使った。
知恵も、知識も、人脈も、所有物も、財産も永く生きていると身についてくるものである。そういったモノが「しがらみ」となり、身につけばつくほど人は身動きがとれなくなる。固定観念もそうだ。固定観念は、自由な発想を阻害する。
人生を積み減らし、身軽になり、生まれ変わり、その瞬間その瞬間に新しいモノを生み出していく。究極的にはそれもまた一つの考え方だ。答えは一つではない。
※本コラムは2022年8月の繁栄への着眼点を掲載したものです。