ナポレオン軍に攻め込まれたロシア軍は、退却しながら、徹底した焦土作戦をとった。
ナポレオン軍が拙い地図を頼りに進んだが、どの町も村も家々は食糧もろとも焼き尽くされている。兵士たちが一夜の宿りをとる屋根ひとつ残されていなかった。
兵士も軍馬も消耗を続ける。
かたやロシア軍も、一方的な退却戦は士気を削ぎ、不満が高まった。「それでもロシアの男か」。将軍たちの間に拡がる不協和音を見て取った皇帝アレクサンドルは、総司令官のバルクライを更迭し立て直しを図る。
総司令官についたクツーゾフは、退却しながらも、騎馬に長けたコサック兵によるゲリラ戦で侵攻軍の疲労を誘った。そして敵が疲労の極に達したと見て決戦を決意する。
クツーゾフは、モスクワの西120キロにあるボロジノの町の郊外の平原に堅固な堡塁を築き10万6千の兵を展開して待ち受ける。9月7日、ロシア国境を越えて二か月半が経過していた。
国境のニエーメン河を越えたときに7500頭いた荷馬は1000頭にまで激減していた。
ナポレオンは、こちらも12万を越える兵に向けて、「ついに待ち望んだ合戦だ。勝利は諸君の双肩にかかっている。勝利の暁には、潤沢な補給品、早期の祖国帰還が待っている」と宣言した。
希望のみが疲労した兵士を奮い立たせる。
軍勢は両軍合わせて23万、未曾有の大会戦である。堡塁の争奪をめぐって突撃を繰り返す両軍は、耳をつんざく砲声の中で累々と屍をさらした。
戦い半ば、前線の将軍たちから後方のナポレオンに伝令が駆けつける。
「陛下、いまこそ近衛軍を動かして下さい」。本陣周辺には、精鋭2万の予備軍が無傷で待機していた。互角の戦況で、敵にはもはや予備の兵力はない。
ここで近衛軍を投入していれば。この戦役を通じてロシア軍を壊滅する唯一のチャンスであった。
「ノン!」とナポレオンは要請をはねつけた。「モスクワでの最終決戦を前に虎の子の予備兵をむざむざ犠牲にするわけにはいかない。予備兵がなくてもこの戦いは勝てる」
前線のネイ元帥は、回答を聞いて叫んだ。
「そんな馬鹿な。皇帝は後ろにいて何をしているんだ。戦局も読めない彼はもう将軍じゃない。皇帝だ。パリの宮廷へお帰り願おう」
「勝機に全軍投入」の原則は、軍に限らず、組織経営の要諦である。この一瞬の誤判が悲劇の始まりとなった。
(この項、次回に続く)