世界で最も偉大なリーダー(教祖は除く)は誰だろう、というやや愚かな問いを与えられたらあなたはどう答えるだろうか。その人その人の視点や人生観で違うと思うが、政治的にはアメリカ初代の大統領ワシントンを私は第一に挙げたいと思う。
アメリカは十八世紀の末に突如として現れた大共和国であり、それから約二百年後の現在では、地球上で唯一のスーパー・パワーに成長している。共和制というのは古代ギリシャの都市国家にあったし、ローマもそれになった。しかしギリシャはアレキサンドロス大王に征服されてしまった。ローマは共和制で大国になったが、紀元前二十七年頃にオクタヴィアヌスが皇帝アウグストゥスになり、その後ローマの滅亡まで帝政になった。
それ以後、イタリアの都市などで共和制のところはあったと言え、国家規模で共和制になったところはない。つまりアメリカという共和国は、ユリウス・カエサルの時代以後、約千八百年後に地上に現れた最初の共和国と言えよう。フランス革命はアメリカが独立して共和国になったのを見て起こり、フランスは共和国になったのである。ロシア革命はフランス革命の後継者だ。
アメリカが独立して共和国になったということは、ざっと二千年に一度ぐらいに起こった特異な政治現象である。その後、多くの共和国が地上に生じたが、みな多かれ少なかれアメリカの真似である。そしてこの政治的大事件はワシントンという人がいなければ達成できなかったことは確実といってよいのだ。ではワシントンとはいかなる人物であったか。
ワシントンの伝記で有名なのは、子供の頃にりんごの木を切って、父親に正直にあやまったという「正直な少年」という教訓としてであった。ワシントンは正直な人であったことは一生を通じて確かであるが、正直なだけの人ならいくらでもいる。ワシントンを偉大にしたのは共和国の理想に徹底的に忠実であったことと、その理念を実行する能力を持っていたことである。
ワシントンは大地主の家に生まれた。しかも十六才の時にファリファフクス卿の持つ広大な土地の測量をまかされている。そして間もなく州の公認測量士にもなり、西部の土地投資などに関心を示した。父が死ぬと土地を異母兄と相続し、更にその異母兄が死ぬと彼の遺産の執行人となった上に、その他の土地も相続した。つまり三十歳になる前に大地主である。
その後、ヴァージニア軍の中佐となり、フランス・インデアン戦争に従軍し手柄を立て、感謝状を受けた。その後大佐に昇進する。イギリスでは大佐が連隊長になり、自分の軍隊を持って従軍するのが常であったが、その習慣は当時のアメリカでも受け継がれ、軍人に適した大地主が大佐になるのである。大佐は当時のアングロ・サクソンの世界では、軍隊でも社会でも中核的人物であった。
間もなくブラドック将軍の率いるヴァージニア軍が有名な大敗北を喫した。このとき、いつもは平静沈着として知られたワシントンが火のような馬力を出して、全戦線を馬に乗って駆けめぐり、辛うじて敗残のヴァージニア兵をまとめて整然と引き上げることに成功した。
その時はずっと馬に乗った全身を敵の鉄砲の前に曝し続けたのであるが、不思議に弾は当たらなかった。この働きがなければ、ヴァージニア軍は全滅するところであった。しかもその後、約五百キロにわたるフロンティアを、七百人の兵隊だけで二年間守り切った。
この戦争の後、彼は富豪の未亡人と結婚する。このおかげで十万ドルの資産が増えた。八代将軍吉宗の頃の通貨価値の比較は難しいが、日本のお金では五十万両ぐらいになるのではないか。いずれにせよ、ワシントンはこの結婚によって自分の財産と合わせると当時の北アメリカ大陸の植民地屈指の大富豪になった。二十七才の時である。
その後十五年間、彼は自分の大農場経営に従事し、成功し、更に大富豪になる。趣味は狩猟、少しばかりの読書、社交なのであった。奴隷も大勢いた。大農場を経営し、多数の従業者などをきっちり管理することに若い時から彼は成功していたのだ。
こんな時にボストンあたりの関税問題に火がついて独立戦争になる。ワシントンは最も早い時期から軍事的解決ならざるをえないことを洞察して、ヴォランティアを集め、武器を準備し、訓練を始めていた。いよいよ戦争になると、植民地会議は満場一致でワシントン大佐を総司令官にする。
その後実に足掛け八年間、ワシントンは広大な戦場で、未訓練の植民地兵を指揮してイギリスの正規軍と戦い続けた。特にはじめのうちは難戦に次ぐ難戦の上、謀反もあったりしたが、最後まで兵士たちの信用をつないで勝利にみちびいた。
勝利の後、彼はまた自分の農場にもどった。総司令官としての給料は辞退してもらわなかった。一方、給料遅延に腹を立てた将校や兵士たちはワシントンを国王にしようとする。ワシントンが「うん」と言えば軍が後ろにいるから国王になれた。しかし彼はナポレオンと違い、自分を国王にしたがっている軍隊を叱りとばして、王になることを拒絶した。
アメリカ憲法もワシントンがいたのでまとまった。そして初代の大統領には満場一致でワシントンが推された。しかし彼は二期つとめるとまた自分の郷里にもどって農場経営に従事し、六十七歳で平和に死んだ。二期の大統領の期間に、アメリカ諸州を共和制のユニオンとして揺るぎなきものにした。そして大統領は二期以上やらないという模範をも示した。
福沢諭吉が最初にアメリカに行った時、日本ならば源頼朝や徳川家康の子孫に当たるワシントンの子孫はどうなっているのかたずねたのだが、誰も知らないので驚いたと彼は書き残している。
渡部昇一
〈第21人目 「ワシントン
「ジョ-ジ・ワシントンの110の戒め 」
ワシントン,ジョージ【著】
塩月 弥栄子【監修】
ゴマブックス刊
本体1,300円