蒋介石の共産党嫌いは徹底していた。
「命など惜しくはない。節は曲げない」という蒋介石は、
「釈放をためらう反乱軍側を説得するためにも、直接、
蒋・周会談が行われたのは、12月24日、事件発生から13日目
夜遅く、蒋介石の部屋に入った周は、
「蒋先生、十年ぶりですが、すっかり老けられましたね」
蒋介石と周恩来。ともに中国革命の父、孫文の理想に共鳴し、
今は思想信条でたもとを分かったが、
「恩来、お前は私の部下だから、私のいうことを聞くべきだ」
周恩来は長幼の序をわきまえた物言いながら、
「先生が安内攘外(
両者は無言のまま相手の目をにらみ合う。一呼吸置いて、
「私は共産党の討伐を停止し、紅軍と連合して抗日にあたる。
人づての口約束は、こうして確約となった。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『西安事変前後―「塞上行」1936年中国』范長江著 松枝茂夫、岸田五郎訳 筑摩書房
『蒋介石』保阪正康著 文春新書
『張学良はなぜ西安事変に走ったか―
蒋介石の釈放条件を巡ってこじれる西安事件の最終盤で、中国共産党から派遣された周恩来は、「蒋介石と直接会うしかないな」と考えていた。
力だけでは人は動かない。策略だけではものごとは進まない。力と策略に加え、互いに約束を違えないという信義があってこそ、交渉は進展する。蒋介石と周恩来は、互いの表情に信義を見てとったのである。(この項、次回に続く)