蒋介石の釈放条件を巡ってこじれる西安事件の最終盤で、中国共産党から派遣された周恩来は、「蒋介石と直接会うしかないな」と考えていた。
蒋介石の共産党嫌いは徹底していた。中国革命のため一度は成立した国共合作(国民党と共産党の連携)は、共産党一流の政治工作で瓦解して10年となる。共産党への怨念がある。西安入りした周恩来に会うことを避け続けていた。
「命など惜しくはない。節は曲げない」という蒋介石は、一貫して軍人、サムライなのである。
「釈放をためらう反乱軍側を説得するためにも、直接、蒋委員長にお目にかかりたい」と、周は、宋美齢に蒋介石を説得させた。
蒋・周会談が行われたのは、12月24日、事件発生から13日目のことだった。
夜遅く、蒋介石の部屋に入った周は、入れ歯をはずしやつれた老人の姿を見た。
「蒋先生、十年ぶりですが、すっかり老けられましたね」
蒋介石と周恩来。ともに中国革命の父、孫文の理想に共鳴し、新中国の建国に身を投じた。孫文が広州に開いた黄埔軍官学校で蒋が校長を勤め、周はその下で総政治部主任という上司と部下として働いた仲である。
今は思想信条でたもとを分かったが、旧知の愛弟子の出現に安堵したサムライは言う。
「恩来、お前は私の部下だから、私のいうことを聞くべきだ」
周恩来は長幼の序をわきまえた物言いながら、要点をきっぱりと伝えた。
「先生が安内攘外(まず共産党を討伐して後に抗日の戦いに挑む政策)を改め、内戦を停止して一致して抗日を指導されれば、私一個人が先生の言に従うばかりでなく、われわれの紅軍も蒋先生の指揮に従うでしょう」
両者は無言のまま相手の目をにらみ合う。一呼吸置いて、蒋は口を開いた。
「私は共産党の討伐を停止し、紅軍と連合して抗日にあたる。君は、中国統一のために、共産党と紅軍を私の指揮下に入れろ。あとは宋子文、宋美齢を全権とするから交渉しろ」
人づての口約束は、こうして確約となった。
力だけでは人は動かない。策略だけではものごとは進まない。力と策略に加え、互いに約束を違えないという信義があってこそ、交渉は進展する。蒋介石と周恩来は、互いの表情に信義を見てとったのである。(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『西安事変前後―「塞上行」1936年中国』范長江著 松枝茂夫、岸田五郎訳 筑摩書房
『蒋介石』保阪正康著 文春新書
『張学良はなぜ西安事変に走ったか―東アジアを揺るがした二週間』岸田五郎著 中公新書