日米繊維交渉を前に、就任早々官僚たちの気持ちをつかんだ通産大臣の田中角栄は、事前の呼吸合わせで来日したデイビット・ケネディ無任所大使と長談判に及んだ。
ケネディは、主要繊維製品の対米輸出伸び率を年間5%に抑えること、輸出が一定水準に達したら自動的に規制が発動される「トリガー条項」を提案し、そして凄んで見せた。
「この案をのまなければ、大統領は『対敵通商法』を発動するかもしれない」
うむをいわせず、かつて第二次大戦時に制定しドイツ、日本に適用した貿易統制の法律をホコリを払って持ちだした。脅しである。
田中はケネディを睨み返して言った。
「わが国の繊維産業連盟は7月から輸出を抑える自主規制を始め、十分に譲歩している。それを再び政府間交渉に戻す考えはない。被害なきところに規制なし。これが自由貿易、自由主義経済の大原則だ!」
就任時に官僚たちから聞かされたシナリオにそって、まさに「振り付けどおりに」踊って見せたのである。
脅しに堂々と原則で蹴り返した田中に官僚たちも業界も、「田中という大臣はなかなかやるじゃないか、われわれの主張をひるまずぶつけてくれる」とすっかり心を捉えられた。
どんな組織でも新たなリーダーを迎えたときに、「さて、どういう人物か、デキる男かダメな奴か」と固唾を飲んで見守る。まず、「お前たちの代表だ」という姿勢を最初の機会にしっかりと見せること、ここで組織内でのリーダー評価は決まるのだ。
しかし交渉ごとである。相手が存在する。身内の掌握だけではことは進まない。相手がどこに妥協点を見出すか、双方がどこまでの譲歩が可能か。その見極めに交渉の成否はかかっている。
秘密折衝を含めて米国の出方を、ケネディの言葉の端々から探る。「一見強気を見せるほどに、米国には焦りがある。彼らは必ず早い機会に妥協の道を探る」。田中は確信した。
米国内では、対敵通商法適用の準備が進んでいた。期限は10月中旬だ。期限が見えればこそ交渉は促進される。
「まずは原則でぶつかり合う。敵(米国)は、伝家の宝刀を抜きにかかる。これを“黒船来襲”に見立て、外圧を利用して国内業界を説得し電撃的に日本から譲歩を提案する」
早期妥結のシナリオはできた。「あとは準備だ、あくまで内密に。慎重を要するぞ」と田中は考えていた。 (この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『早坂茂三の「田中角栄」回想録』早坂茂三著 小学館
『田中角栄 頂点をきわめた男の物語―オヤジとわたし』早坂茂三著 PHP文庫
『田中角栄の資源戦争』山岡淳一郎著 草思社文庫
『日米貿易摩擦―対立と協調の構図』金川徹著 啓文社