日米繊維交渉の解決を任された通産相の田中角栄は、1971年10月15日を期限とする妥結へのシナリオを描いた。
このシナリオには米側の特命大使ケネディも一枚かんでいる。ドル防衛を含め新国際経済秩序構築をめざす大統領ニクソンにとっては、繊維輸入問題の解決は「焦眉の急」だ。
田中にとっても、繊維問題での日本側の妥協が、首相佐藤栄作が政治生命をかける沖縄返還の裏の交換条件となっていることを知っている。「糸(繊維問題)で縄(沖縄返還)を買う」ということだ。
ケネディは田中との接触を通じて、「『ケネディ案』では呑めないが、双方の立場を十分に話し合って、解決しよう」と田中が口にした表現に日本側妥協の可能性を感じ取り、それに賭けた。
協議を決裂一歩手前まで緊張させ、米側が敵国条項発動に向けた最後通牒を出す。10月16日に召集される臨時国会前日の15日に電撃的に妥結。両者が密かに合意したシナリオだ。
阿吽(あうん)の呼吸で、田中とケネディはデッドライン(期限)を決めた。「大統領も『ここまで日本を追い込んだ』とメンツが立つだろう。あんただって大統領をなだめるアメを手にする」。
9月9日からワシントンで始まった日米貿易経済合同委員会は、シナリオ通り大荒れとなった。米国のコナリー財務長官は輸出規制を日本に強く迫った。
これに対して田中は、「米国は貿易の不均衡をいうが、1951年から70年まで、ずっと日本の入超だった。ニクソン大統領は日本の頭越しで訪中を決めたが、日本に強硬姿勢をとれば、やがて人件費の安い中国に対してもより強硬な措置を取らざるを得なくなる。それは米中国交正常化にとっても障害となるのではないか」と一歩も譲らない。
妥協の余地なしと見えた。9月21日、ケネディの法律顧問が、最後通牒案を持って来日した。シナリオの埒外にいた外相の福田赳夫は、あわてて首相の佐藤に「これは通産省にまかせておけない。政府間交渉に切り替えるべきだ」と進言し、不安な佐藤も心が動いた。
「大丈夫です」。田中は政府間交渉移行の動きをはねつけた。
ゴール直前は見えている。何もわからんトンビに油揚げをさらわれてたまるか。
田中にとって交渉の成否は、ポスト佐藤を巡るライバル福田との政治レースでもあった。 (この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『早坂茂三の「田中角栄」回想録』早坂茂三著 小学館
『田中角栄 頂点をきわめた男の物語―オヤジとわたし』早坂茂三著 PHP文庫
『田中角栄の資源戦争』山岡淳一郎著 草思社文庫
『日米貿易摩擦―対立と協調の構図』金川徹著 啓文社