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老舗「徳川商店」永続の秘密(6) 社会変容とニーズに応じる番頭の柔軟さ

指導者たる者かくあるべし

 田沼時代の再評価

 江戸時代中期の18世紀、徳川第10代将軍、家治(いえはる)に老中として仕えた田沼意次(たぬま・おきつぐ)という幕臣がいた。彼が采配を振るった田沼政治は、「賄賂がまかり通った汚職政治」として教科書では書かれ、あまりいいイメージがない。
 しかし実態は違うのではないか。江戸開幕から100年以上を経過し、武士たちの扶持(ふち=給与)から幕府財政まで、米本位制で運営されていたシステムも、時代の変化にさらされていた。GDPの中で商品経済の占める比率が飛躍的に伸びていた。それに伴い決済も貨幣で行われるようになってくる。田沼はこの社会変容に対応する新しい社会システムを構築しようと試みた。この点がこれまで見過ごされてきた。
 田沼家は、さかのぼれば紀州徳川家の中級武士であった。父の代に、将軍位を継いだ紀州藩主の吉宗に従って江戸住みの旗本となった。目端の利く意次は、吉宗の子である9代家重(いえしげ)の小姓からはじめて一万石の大名に取り立てられ、家治の時代になると将軍の覚えもめでたく、とんとん拍子で出世する。ついには老中に抜擢された。
 その出自の低さと急激な出世が政治ライバルたちの嫉妬を買い、過激な改革姿勢は、その後の幕府内のエスタブリッシュメントたちからも散々な評価を受ける原因ともなっている。
 ともあれ、田沼が家治側近として、始めたことは、暗愚の将軍・家重時代に地に落ちた将軍権威の再興だ。大名たちを従え軍事演習を兼ねた日光社参を挙行し、朝鮮、琉球からの通信使(親善使節)の大行列を民衆に見せつけることで、幕府の権威を視覚的にアピールした。
 そして、いよいよ将軍の支持を得て財政改革に乗り出す。

 農本主義から重商主義へ

 幕府の財政改革なら、先々代将軍の吉宗が享保の改革で取り組んでいる。吉宗のそれは、新田開発などで、田畑からの年貢の増収を図り、米倉を満たすことに主眼があった。しかし、田沼の改革は違った。町民層の発展で活発化しつつある商品経済から収入を得ることに狙いを定めた。
 まずは通貨の安定である。純度の高い二朱銀貨を発行し、二朱銀8枚で金小判1枚という交換レートを明示する。銀貨の価値は重さで決まったので流動的であったが、小判とのレートを固定することで価値を安定させたのだ。幕府銀行が流通を取り仕切ることになる。
 次に目をつけたのが、中国(清)との交易だ。当時の中国は日本から、通貨原料の銅と食品材料の海鼠(なまこ)、ふかひれの輸入を欲していた。これに目をつけて田沼は国内の銅山開発に力を入れて純度の高い銅を精錬し、また、海鼠、ふかひれを俵に詰めて長崎から輸出した。その代価を銀で受け取ることで、国庫は充実していく。
 さらに、国内で流通する高額商品から利益を獲得するために、鉄座、真鍮(しんちゅう)座、朝鮮人参座などを設けてその流通を幕府の専売とする。
 これらの政策は、年貢米の安定収入にこだわる従来の農本主義的経済構図を根本から覆すものだった。海外植民地進出を展開する欧州の重商主義的な発想で、時代の変化を先取りするものだ。しかし、こうした社会経済構図の変容を先取りした田沼の斬新な政策は、相変わらず米の石高で給与を受け取る武士にしてみれば、何の利益ももたらさない。武士たちの反感は募る。士農工商。幕府の統治原理において商いの地位は低いのである。

 松平定信の緊縮財政

 田沼時代がいま少し続いていれば、わが国の経済構図はどうなっていただろうか。幕末の開国圧力への対応も、よりスムーズに展開したのではないか。そんなことを夢想する。
 歴史とは皮肉なものだ。田沼執政期にわが国は浅間山の大噴火など未曾有の天災、飢饉が連続する。農村は疲弊し、物価は高騰する。地方で多発した農民一揆は、ついには江戸での商家への「打ちこわし」という暴動に発展する。
 田沼の政策に理解を見せた将軍・家治が亡くなると、守旧派による反田沼の動きは加速する。11代の家斉(いえなり)が将軍となり、前回触れた、有事に将軍の輩出もあり得る御三卿の一家、田安家の血を引く松平定信(まつだいら・さだのぶ)をブレーンに迎える。老中に推挙された定信は、田沼派を一掃するとともに農村立て直し、物価安定、治安の維持を最優先として緊縮財政を実施し、庶民には贅沢を禁じるのである。
 老舗「徳川商店」の面白いところは、屋台骨の創業家は受け皿を広くしてとにかく血筋で繋ぐ。そしてトップの代替わりに合わせて、時代の変容に合わせた経営方針を柔軟に展開する番頭が立ち現れることだ。
 番頭の抜擢に際しては、松平定信のような貴種もいれば、田沼意次のような中下級官吏の出もいる。その多様さが時代、時代の変化を汲み上げて創業家を支え続ける。創業家は決して経営の究極の責任を取らない。時代に寄り添って老舗が続く理由をそこに見る。

(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com

 

※参考文献
『歴史と旅 徳川十五代の経営学』秋田書店
『天下泰平の時代』高埜利彦著 岩波新書
『日本の歴史18 幕藩制の苦悶』北島正元著 中公文庫

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