ナチスドイツとの戦いを勝利に導いた英国首相、チャーチルは楽天的な準備の人である。
英仏海峡を越えての上陸反攻を「時にあらず」として自重しつつ、北アフリカ、中東に軍を進める迂回作戦を取ったが、ノルマンディー上陸の「Dデイ」に向け着々と手を打つ。
かつて海軍大臣を努めた第一次大戦でのトルコ上陸作戦の失敗から、大規模な上陸には上陸用舟艇、水陸両用戦車が必要であるとしてその斬新な軍備の増産を命じる。
さらに近代戦に不可欠の空軍力の強化も空前の速度で進めた。
最大のカギは、米国の本格参戦だった。1941年8月、参戦を逡巡していた米大統領・ルーズベルトを説得するため米国沖に赴いたチャーチルは大統領の頑なな言葉に愕然とする。
「合衆国はファシズムを憎むのと同じく、英国の帝国(植民地)主義も認められない」というのだ。
この会談の際、チャーチルが風呂から上がるとルーズベルトがいきなりドアを開けた。裸のチャーチルがすかさず振り返って言う。
「大英帝国首相は、合衆国大統領の前に隠すべきものは何ひとつない」
この危機にも忘れぬウィットに、険悪だった二人は打ち解けた。米英両国はともにファシズムと戦うことを誓う「大西洋憲章」を結ぶことになったのだ。
1943年6月6日、米英軍を主力とする連合軍17万6千の将兵が北フランスのノルマンディの海岸に上陸する。追いつめられたヒットラーは一年後に自殺し、ドイツは降伏する。
ヒットラーは遺書に敗因を書き記した。
「あの大酒飲みの半アメリカ人(チャーチルの母は米国人)さえいなければ、老化した動脈硬化の英国なんか…」。
ヒットラーとは、欧州に襲いかかった一つの狂気であった。
しかも戦いに関して天賦の勘を備えている。
勘をそなえた戦い上手な狂気にだれしも手こずる。経営者なら思い当たるだろう。
しかし案ずることはない。歴史に学んだ正気が、こうした狂気に敗れることなど、これまでも、これからもないのだ。
チャーチルがのこした言葉から、危機を乗り切るための金言をふたつ紹介しておこう。
「危機が迫ったとき、決して逃げてはいけない。危機が倍になる。ひるむことなく決然と立ち向かえば、危機は半分となる」
「人生ではしばしば最初に直面する試練が最も厳しい。一度その困難を乗り越えれば、道は比較的容易になる」