曖昧さ信奉は日本人の悪い癖
日本人はものごとの白黒をつけることを嫌う。不得手というより、美徳にかなわないと考えがちで、自らの判断を覆い隠して成り行きを見守る方が良策だと判断しがちだ。
たとえば、目の前で知人二人が口喧嘩をはじめ殴り合いに発展したとする。「ふたりともに言い分はわかる。まあまあまあ」と割って入るのが徳にかなった行動だとされる。中立的立場での仲裁である。
マキアヴェッリはこうした曖昧さの愚について諌めている。
〈君主(リーダー)は、どこまでも味方であるとか、とことん敵であるとか、言いかえれば、この人物を支持し、あの人物を敵視するということを、なんのためらいもなく打ち出すことでこそ尊敬されるのである〉
共通の価値観をもつ国内でなら、日本人のもつ曖昧さ、中立信奉も通用するが、国際社会では有効ではないどころか害をもたらす。かつてイラクを舞台に起きた1990年代の湾岸戦争で、憲法の制約上、多国籍軍に参加せず、130億ドルという巨額の戦費を拠出したが、まったく感謝されなかった苦い経験をしている。
11年後、米国が9・11同時多発テロへの報復としてアフガニスタンのイスラム過激派への攻撃に乗り出したとき、時の米国務副長官で知日派のリチャード・アーミテージは、日本に対して、「ショウ・ザ・フラッグ(show the flag=旗幟を鮮明にしろ)、それが日本の国益にかなう」と忠告した。日本はインド洋に後方支援艦隊を送り、多国籍軍のアフガン攻撃を支援し、ようやく一定の国際評価を受けることになる。
「中立」は双方の恨みを買う
味方でない者が、中立的対応を要求してきたり、味方の側が共に戦おうと要請してきたりすることは、日常的に起きる。決断力のないリーダーは、当面の危機回避のために中立の道を選びたがる。しかし、マキアヴェッリは、一見わが身を守る平和的対応と見える「中立」の害を明確に述べている。
〈勝者は、逆境のときに助けにならなかった怪しげな者を味方にはしたがらない。かといって敗者の側も、すすんで武器をとって自分たちと共に命運を賭けようとしなかったあなたなど受け入れてはくれない〉
結局、双方の恨みを買う。今度は自らが窮地に陥った場合、どちらの側も支援の手を差し伸べる名分がないから、見放されるのがオチだ。
敵味方をはっきりさせる
それはわかっちゃいるけれど…。損得勘定で判断がつきやすい場合ならいいが、両者の強弱が拮抗している場合は、敵味方の峻別に悩む。そんなときも、日和見よりは、決然と態度を鮮明にする利益の方が大きい。
〈もし、加勢した側が勝利を握れば、勝利者がいかに強力で、あなたを意のままに操ろうとしても、彼はあなたに恩義を感じる。そしてあなたと友情の絆で結ばれる。人間というものは、恩知らずの見本になるほど不実な者でもない〉
冷徹で血も涙もない功利主義者と信じられているマキアヴェッリだが、彼の思想の根底には、人間に対する信頼感が最後の防波堤として存在している。
では加勢した者が負けた場合は、どんな未来が待ち受けているか。
〈たとえ敗れても、あなたは彼から迎えてもらえる。力のおよぶかぎり、あなたに声援もしてくれよう。そしてあなたは、いつかふたたびめぐりくる運命の同伴者ともなろう〉
楽観的未来が待っている。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『君主論』ニッコロ・マキアヴェッリ著 佐々木毅全訳注 講談社学術文庫
『マキアヴェッリ語録』塩野七生著 新潮文庫