英仏海峡のカレー沖に投錨したスペイン無敵艦隊総司令官のシドニア公は気が気でなかった。落ち合うはずのパルマ公率いるオランダ駐留軍が姿を見せないのだ。
敵の眼前での滞留は得策ではない。だれでもわかる。しかし陸軍部隊が合流、搭乗しなければ、英本土上陸作戦は成立しない。
乗組員たちも苛立ち始める。そこへ陸上から伝令が届いた。「兵も弾薬もまだ準備できていない」
シドニア公は、浮足立つ乗組員をなだめるために虚報を流すしかなかった。「明日の朝、兵たちはやって来る」。
西風はますます勢いを増してきた。
焦りは風上に投錨した英国艦隊も同じである。無敵艦隊が錨を上げれば、夜陰に乗じて遁走を許してしまう。
英国側は火をつけた小舟やいかだを風上から無敵艦隊に向けて放つ「火船攻撃」の準備をドーバー港で進めていたが、間に合わない。
洋上での作戦会議で海賊のドレークが大胆な提案を行う。「火船攻撃なら小舟より、私の艦隊から大きな船を提供しよう」。同じく海賊のホーキンズも船の提供を約束した。
7月29日未明、90トンから150トンの大型の火船8隻が放たれる。猛火に包まれた船の出現に、強風をやり過ごすために互いをロープで結び合っていた無敵艦隊は大混乱に陥る。
われ先にとロープを切り錨を上げて、東へと流れていく。無敵を誇った艦隊もこうなると、戦列を組むこともなく、単なる烏合の衆となる。英国艦隊の追撃を交わし、大ブリテン島を反時計回りに落ちのびていく。一隻一隻、砲撃の餌食となり、また慣れない北の海の荒波に翻弄されて座礁しながら。