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- 逆転の発想(23) 新人の経験は邪魔(阪急グループ創業者・小林一三)
無色な人材が貴重
小林一三というと、「需要がないなら創り出せ」という不利な経営状況を逆手にとったアイディア経営法ばかりが注目されるが、彼には人材採用と育成法についても一家言がある。
乗客需要の見込みもない箕面有馬電気軌道(現在の阪急電車)を引き受けたことからはじまった彼の経営者人生は当初、当然のごとく高学歴の優秀な人材など集まらない。当然、彼の独自の人物鑑定眼と教育、人材登用術が求められた。
小林は生前、学生たちが休暇を利用して就職希望会社への体験実習をすることについて、〈採用者側の事情からすると有害だ〉と書き残している。
1931年6月に書いた「こんな人を使いたい」という一文である。そのころには、阪急グループの経営は波に乗り、東京の私鉄会社にも経営指南をするほどになっていたから、学生の人気も高かっただろう。今でいう「インターン」を使って電鉄、デパート事業で経験を積んでコネを作り就職に有利な立場を得ようとする学生が多くいたのだろう。
採用する側からすると、生なかに経験を持った者などあまり好まれない。一つの型が出来ているため新しく導いてゆくのに有害だ、というのが小林の主張だ。
その理由はこうだ。〈実際には、一つの会社、一つの事業には皆それぞれの型があるので、ある色で染まった者をそこへ入れるよりも、全然無色な者を入れる方が良いということになる〉
既成の会社のありように媚びる人材より、まっさらで全く新しい発想こそ会社の発展に必要だという考え方だ。大企業に名を連ねるようになっても、「我が社の方針はこうだ。これに従え」とは言わなかった。
下足番なら日本一の下足番になれ
箕面有馬電気軌道の立ち上げに際して、小林は金策に駆け回り、軌道敷設の準備は旧知のある人物に任せた。大学でエンジニアリングの教育は受けたこともない商社の事務員上がりだったが、発想と段取りは見事だった。その手腕と実行力に惚れ込み、「会社の設立は責任を持つから、敷設化計画は全て君に任せる」と言い渡す。任された方は全力で猛進することになる。難航が予想された鉄道の開業は、当初計画より21日も早く実現に漕ぎ着けた。
「大学出のエンジニアは英文も読めないものが多くて役に立たない。君はどこで英語を学んだのか」。信頼した“エンジニアならざるエンジニア”は英語の名手だった。広範な知識でエンジニアたちを束ねた。
小林は、採用した人材を、大卒であってもまず現場においた。当時は珍しかった。必要な知識は現場にあると考えたからだ。なまじ大学で鉄道、流通を専攻した人間であれば、現場の下積みは、「華々しい企画畑で活躍できると思ったのに、自分は評価されていない」として腐ってしまう。ならば、そういう人材はウチには不要というのが小林の人材教育の基本的発想にある。
小林は、晩年、あるインタビューで『太閤記』を引いて、現場の下積みの教育効果について、こう説いている。若き日の木下藤吉郎が、織田信長の下足番をまかされ草履を懐に入れて温めたエピソードである。
〈藤吉郎は信長の気に入られようとしてやった、というのは読み誤りだ。そういう邪心からではなく、自分が任された仕事をどうすればまっとうできるかという向上心から出た工夫だった。馬廻りを任されていたならその仕事を工夫し最善を尽くしたはずだ。それが信長の目に留まった〉
そして言う。〈下足番を命じられたら日本一の下足番になってみろ。そうしたら。だれも君を下足番にしておかぬ〉
就職の目的はサラリーマンになることではない
〈今日の若い人々は学校を出て就職する時に名の通った大会社に入りたがる〉。戦前の話であるが、今も同じである。
〈(大企業で)偉そうに振る舞っても、単なる機構の一部の上で踊っているカカシに過ぎぬ。中小企業に進んで就職するなら、よほど身のためになる。中小企業で仕事をするのは、その目的がサラリーマンになることではない。将来、独立自営の主になるのが目的なので、仕事はその見習いの時である。サラリーマン希望で入ったら大いに当てが外れるだろう〉
企業の大小に関わらず然り。
青年よ大志を抱け、である。企業リーダーにその気概がなければ、学生を叱ることもできないであろう。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『私の行き方』小林一三著 PHP文庫
『逸翁自叙伝』小林一三著 講談社学術文庫