漢の高祖・劉邦のように逸材が手元にあれば、いかに乗りこなすかを考えればいい。しかし、才ある人材を集めるにはどうするか。誰しも思い悩む。
時代は紀元前4世紀、諸国が激しく覇を競っていた春秋戦国時代である。燕(えん)の内乱をおさめた昭王(しょうおう)が王位についた。隣国の斉に混乱をつかれて急襲を受け、危機にあった。
弱小国を率いる昭王は、人材の確保を目指し、論客の郭隗(かくかい)を訪ねる。
「私は、燕が小国で兵力も少なく、報復するには力量不足であることを知っている。優れた人物を招いてともに国政を執り、先王の恥辱をすすぎたい。どうすればいいか」
郭隗は言う。
「広く国中の賢者を選んで、自ら足を運べば、王が賢者の家にまで訪ねてきたということが評判となり、天下の優れた人物は、必ず燕に馳せ参じてくるでしょう」
「まずだれを訪ねればいいのか」と問う昭王には直接答えず郭隗は、たとえ話を持ち出した。
〈昔、千金をはたいて千里を翔ける名馬を求めようとした王がいた。三年経っても気に入った馬はみつからない。宮中の雑役夫が「私が探してきます」と名乗り出た。男は名馬を見つけたが、すでに死んでいたので、その首を半額の五百金で買い都に戻った。「なぜ死んだ馬などに大金をはたくか」と激怒する王に雑役夫はいう。「名馬と聞けば、死んだ馬にさえ五百金を払うのだから、この王こそ馬の本当の値打ちを知っていると噂になり、名馬は自ずと集まりましょう」。王は、一年とせぬうちに、千里を翔ける名馬三頭を手に入れた〉
「それで?」と問い返す昭王に郭隗は、「優れた人物を招こうとお考えなら、まず、この隗を手始めになさってください。私のような者でも仕えることができると知れば、さらに優れた人物は、千里の道もいとわずやってくるでしょう」と頭を下げた。
昭王が郭隗を宮殿に住まわせ師事すると、名将の楽毅(がっき)ら各国から綺羅星のごとく逸材が燕に集まり、燕は怨敵の斉を討つことに成功した。
「先ず隗より始めよ」の故事である。「身近なことから始める」「言い出しっぺからまずやれ」という趣旨で使われる故事の原点は、人材確保の話だったのである。おとぎ話のような逸話だが、学ぶべき点はある。
しかし安易に真似ようものなら、ただ売り込み上手なだけのとんでもないジョーカーを引くことにもなりかねない。