目的を達するのに、ただ猪突猛進、直球だけでは、しくじることがある。古代中国の戦略教訓をまとめた『戦国策』は、深慮遠謀を巡らせることの重要さを繰り返し説いている。
紀元前5世紀の中国は、周王室の権威が地に落ちて、“覇者”と呼ばれる各地の諸侯が角を突き合わせていた。
黄河中流域を支配していた一大勢力の晋(しん)の国では、統率が失われ、さらに四つの地方氏族(四卿)が権力を分け食いする四分五裂の状況にあった。
晋の地方勢力の中で知伯(ちはく)が軍事力を背景に版図を広げていた。
ある日、勢いに乗る知伯はライバルの魏桓子(ぎかんし)に領地の割譲を要求した。魏桓子は、これを拒否しようとした。配下の臣である任章(じんしょう)は、「どうして拒否なさるのか」と、主人を諌める。
魏桓子は答えて言う。「理由もなく土地を求めて来るのに与える必要はない」
当然といえば当然だが、任章は憤懣やるかたない主人をこう説得した。「理由もなく土地を奪えば、周囲の国は知伯を恐れ、警戒するでしょう。そして土地を得た知伯は驕り高ぶり周辺国を軽んじることとなる。そこがチャンスです。自分だけで知伯に対抗してどうなるものですか」
任章の助言に従って、魏桓子は一万戸の村を分け与えた。
果たして図に乗った知伯は、また一人のライバルである趙襄子(ちょうじょうし)に二つの領地を寄越せと要求する。趙襄子はこれを拒んで城に立て籠もった。
向かう所敵なしの知伯は、魏、韓の兵と協同で城を水攻めにする。驕る知伯。「戦さが終われば、我々三人で趙の領土を分けよう」。
城の周りに水が押し寄せ、もはや落ちなんとする時、魏と韓は知伯に反逆し、水攻めの水路を付け替え知伯の陣に流した。あわてる知伯。城内の趙の兵も呼応して反撃に出て、知伯の一族は圧倒的な兵もろともに滅んだ。
日本人なら、「驕れるものは久しからず」という平家物語的でセンチメンタルな教訓を引き出すことだろう。しかし中国民族は違う。
魏桓子は予め、知伯を恐れる韓、趙と知伯討伐の策について通じ合っていたのである。
任章は、主人への助言に際して、こう付け加えている。「古言には、〈これを破らんと欲せば、必ずしばらくこれを助けよ、これを取らんと欲せば必ずしばらくこれを与えよ〉とあります」。
人の心理を読み取って、急がば回れの戦略を立てる。中国民族が考える闘争の勝敗を決めるカギは、至って現実的なのである。
商道もリアリズム。彼らにとって原則は同じである。