江戸時代の儒者、荻生徂徠は、執政(重役)の職分について、「使う人間の才知(才能)を見抜き、育成して、有能な人材を多く輩出することにある」と指摘している。では、どうやって才能を評価すればいいのだろうか。
徂徠は、幕府の開祖、徳川家康の智恵を引用してこう言う。『政談』にある。
「家康公は重い地位の役人を任命なさる際には、必ず下の者の評判を聞き、適任との評判のある者を必ず任命されたと聞いている」
理由として、「下の者から慕われている者を重い役に任命すると、下の者がよく命令に従うからだ」という古人の話を附記している。
しかし、家康公の智恵はそれだけではなく、もっと深い考えがあったのだ、と推察している。少し聞くことにしよう。
「およそ人の善悪は、上の方から見えにくいものである。人というものはだれでも上の者の意向に従い、それに調子を合わせて、上の者に気に入られようとするのが人情の常であるから、その人の本心は隠れてしまって見えにくい。たとえ聖人・賢者のようなすぐれた主君であっても、上からは人の善悪は見えないのが理の当然である」。なるほど。
「さらに悪知恵のはたらくものがあって、素直に上の者の考えに調子を合わせようとすると、軽薄に見えるし、また合わせたということが目につきやすいから、表面では調子を合わせないふりをしながら、実際には調子を合わせている者もいる。こういうのは格別な悪人である」
われわれの身の回りにいる上司のだれそれが、具体的に思い浮かぶではないか。
そんな上司こそ上の覚えもめでたく、出世の道を駆け上がる。組織の常である。
そんな上司に使われる身としては、退勤後、会社からしかるべき距離の離れた酒場で、「あの“ごますり野郎”め!」と夜更けまでおだを上げることになる。上役には見えなくても、部下は的確に見ているのだ。
「だれでも上の者には調子を合わせようとするが、下の者に向かって調子を合わせようとはしない。だから上へは知れにくくても、下へはよく知れるものである」と徂徠は喝破(かっぱ)する。そして徂徠はこの項目をこう結ぶ。
「家康公は、学問する暇もなかったろうに、聖人の道に合致している点が多いのは、まことに不思議なことで、末代までの模範とすべきである」と。