「三年で結果を出すので、長い目でみてほしい」とオーナーの三木谷浩史に条件を飲ませて2006年のシーズンから楽天イーグルスの監督を引き受けた野村克也だが、前年最下位だったチームの惨状は想像を越えていた。
近鉄がオリックスへ吸収合併され、余ったひと枠で前年に急遽発足した新球団はまさに、他チームをお払い箱になった選手たちの寄せ集めだった。
足りない戦力は、いずれ若手を育て、移籍補強で確保するにしても、野村が感じたのは、「チームの中心がいない」ことだった。
V9時代の巨人なら、長島、王。あるいは阪神を18 年ぶりのリーグ優勝に導いた金本知憲(かねもと ともあき)のような中心的存在のことだ。
中心と言っても単なる打撃力のことをいうのではない。チームを率いる統率力と若手の手本となる存在だ。打撃の天才である長島、王だが、その練習量は半端ではなかった。言葉に出さずともその努力する姿を見れば、周囲の選手たちは、それを真似る。
金本も、骨折しても打席に立ち続けた。その姿は、あだ名通り、“アニキ”として若手を引っ張った。率先垂範する、ある意味で怖い先輩の存在だ。
「中心のない組織は機能しない」。野村の信念だ。
野村は、バラバラに見えたチームの中に埋もれた中心を見つけた。オリックスを解雇されて新生のチームに飛び込んだベテランの山崎武司(やまさき たけし)だった。
山崎は、中日時代に巨人の松井秀喜を抑えてホームラン王に輝いた実績ある強打者だ。しかし、臆せず首脳陣を批判する“やんちゃぶり”が嫌われ、どこでも冷遇されていた。
野村は、山崎がキャンプで、あるいはベンチで後輩選手たちに熱心にアドバイスしている姿を見た。後輩の手抜きプレーを、また礼儀を欠いた態度を厳しく叱責しているのも見かけた。
組織のトップは、とかく“やんちゃ”を嫌う。チームの和を乱す厄介者として扱いがちだ。しかし、その言動が、独りよがりか、組織を思ってのことか見抜く必要がある。
しかも山崎は少々の怪我では休まない。打席に立ち続ける。そして結果を出す。
野村は、山崎の心根を無抜いて、チームの中心に据えた。チームは山崎を核にまとまりを見せる。
人は、自らの才を見抜き使ってくれた恩に必ず報いる。後に山崎はこう語る。
「どうしても胴上げしたいと思った監督は、野村さんが最初で、最後だ」