東京・下町の町工場の例を持ち出すまでもなく、日本人の手先の器用さは世界中につとに知られている。よほど精密な計測器でなければ測れないほどの細かな単位を指先の感覚で再現できるのは、確かに世界でも稀なことだ。そう多くはないかもしれないが、人間が五体に備えている感覚の繊細さは、時に精密機械を凌駕することもあるのだ。
こうした例は、時計の軸を巻き戻し、日本の伝統文化の中に多くの例を見出すことができる。土地高騰の煽りを受けてマイホームを建てることが難しくなり、数十年のローンと引き換えに手に入れたものが「箱庭のような家」と揶揄されることもある。
山がちで平地が少ない日本においては致し方のない一面もあるが、どちらにも失礼な物の言いようだ。本来の箱庭は高度で洗練された技術の集積で、大きさはいろいろあるが、例えば1メートル四方に満たない、昔流に言えば「三尺四方」のスペースに、家、四阿、白砂清松、築山、池、川などを配置よく盛り込んだ箱庭は、一つの「小宇宙」と言うに値する価値を持つ。場合によっては、樹木などは本物を使い、丁寧な手入れ、まさに「丹精」の言葉が相応しいほどの心配りが必要なのだ。
「丹精」の言葉で思い浮かべるのは、海外でも人気が高い「盆栽」だ。樹齢100年を超えようという古木を、30センチ程度の植木鉢に納め、針金などを使って樹の姿を撓め、そこに自然では見られない「造形美」を発見する。樹木は自然に生えているものを丹精し、形を整え、花を咲かせる庭師の技術はきちんとある上で、同じ素材でありながら別の楽しみ方を見つけた例だろう。たとえ広い庭がなくても、一つの鉢に植えられた松や梅の姿を矯めつ眇めつ眺めることに興趣を覚えるのだ。
「盆栽」はもはや世界共通言語ともなっており、イギリスは盆栽大国として知られ、外国人の庭師も人気と、日本の庭園に潜む「美学」は世界でも高い評価を受けている。事実、一鉢数百万円の盆栽は、国内よりも海外で人気が高いケースもある。
本来であれば天に向かってすくすく育つべき樹木を人の手によって「撓める」ことには是非もあろうが、現代の感覚で虐待のように取られても困る話だ。歌舞伎では、俳優の肉体が本人にとって辛い姿勢であればあるほど、観客席からは美しく見える。こうした例を挙げれば、多少は納得いただけるのではないだろうか。
「箱庭」にせよ「盆栽」にせよ、四方を海に囲まれた決して大きいとは言えないこの国で、狭いスペースをいかに有効活用するかという第一義の目的の後に「洗練」の文字が浮かび上がってくる。
ただ小さくし、そこに何かを詰め込むだけではなく、その中に繊細な美しさをどこまで盛り込むことができ、バランスの取れたものにできるか、という発想だ。さらに重要なのは、小さな空間にも「余白」を残すことだ。この複雑極まりない美しさを考えるまではまだ簡単かもしれないが、いざ実行に移すとなると容易な話ではない。
「洗練」の観点でもう一点挙げるなら、江戸時代後期に頂点を極めたとも言える「根付」だろう。
武士の刀や、煙草入れなどのアクセサリーとしての発達は、携帯電話のストラップのような感覚もあったのだろうが、量産するものではなく、価格帯も違う。手の掛け方も全く違い、一点物の芸術品だ。素材には象牙や樹木などを使用し、形状により若干大きさは違うものの、3センチから4センチ四方のものだ。また、身体の側に付けるアクセサリーであるため、尖っていて傷付くような形状ではいけない、あまり大きな物では邪魔になる、など更に制約が課されている。そこに精巧緻密な細工が施してあり、象牙の球が二重構造になったものや、数センチ立法の大きさに「からくり」が仕掛けられているものなど、実に趣向に富んでいる。箱庭よりも更に極小空間の小宇宙である。中国でも根付を産するが、繊細さという点で言えば日本の品物の方が圧倒的に優位に立っていると私は考える。
ただ、誠に残念なのは、根付本来の魅力に我々日本人が気付く前に、海外での評価が高まり、一級品の多くが海外の美術館や博物館に流れてしまったことだ。海外の人の眼には、まさに「ジャポニズム」を象徴する品物の一点に映ったのだろう。江戸末期から明治初期にかけて、大量の根付が浮世絵、陶磁器などと共に海を渡ってしまったのは残念なことだ。
しかし、これをプラスに考えるなら、世界が認めるほどの一流工芸品であるということでもあろう。時代が変わり、平成期に入ってからは、現代の職人たちが根付の魅力を江戸期とは違った感覚で作成し始めたのは喜ばしいことだ。歴史は繰り返すと言うが、良い物は時代の変化には関係なくその本質を保ち続けることの証拠でもあろう。こうした細かな手作業に才能を発揮するのは、日本人の特質の一つでもあり、それが性格で言えば「几帳面」を示す一面にもなるのだろう。
他にも今は需要が少なくなったが指物、着物の柄、細密画などに、日本の職人の素晴らしく繊細かつ巧緻な技術を見ることができる。まさに、日本が世界に誇る立派な文化であり芸術だ。これを大切にしない手はないだろう。