権力は腐敗する
傑出した皇帝・煬帝(ようだい)をいただきながら短期政権に終わった直前王朝の隋を反面教師として出発した唐の二代目の太宗(たいそう)だったが、治世が落ち着くにつれて傲慢さが目立つようになる。臣下の厳しい批判(諫言=かんげん)を受け入れて、天下の実情を把握し民に寄り添うことを心掛けてきた謙虚な政治姿勢も次第に薄れてゆく。
23年に及んだ太宗の治世も、時が経つにつれ、臣下たちの諫言に皇帝はいら立ちを募らせるようになる。
貞観の治世8年のある日、宰相の房玄齢(ぼう・げんれい)が道で宮殿の営繕部長と出会った。房玄齢は、「なんだ、近ごろ宮中で何か宮殿の造営工事でも始めるのか」と問い詰めた。太宗が皇帝即位後、民を休息させ、出費を抑えるために宮殿造営など身の回りの贅沢はしないと宣言していたため、不審に思っての詰問だったが、営繕部長はことの次第を太宗に伝える。
すると太宗は幹部会議で宰相をなじった。「あんたは内閣の所管事項に専念していればいい。宮中の造営工事など、あんたの所管ではないだろう」。房玄齢はただかしこまって一言も発しない。
たまりかねて魏徴(ぎ・ちょう)が進み出て、太宗に直言した。
「これは異なことを申される。玄齢はあなたが信任した宰相の職にあり、陛下の名代ともいえる立場。どこの造営工事であれ、予算が絡みます。財政を預かる宰相として知らぬでは済まされますまい。造営計画が道理に合わぬものなら、宰相として中止を進言しなければならないのに、この体たらく」。批判は宰相にも向かった。
このころの太宗は、会議でも臣下たちをすぐに叱る。宰相といえども面前で意見することも無くなっていた。
「遠慮なく意見を言え」と言いながら、意見されるとキレる。言行不一致だ。魏徴は危機感を覚える。これでは隋朝を滅亡させた煬帝の二の舞になる。いかに高邁な理想を掲げても、英国の歴史学者、ジョン・アクトンの言う通り、「絶対的権力は絶対に腐敗する」。太宗といえども古代の伝説的聖人君子ではない。慢心と自信過剰という罠に陥らないための諫言奨励ではなかったのか。
沈黙の理由
臣下から批判意見が上がってこなくなると、それはそれで気にかかる。太宗はあるとき、魏徴にどうしたものかと相談した。魏徴は「沈黙する者にはさまざまな理由があります」と答える。
「意志の弱い者は、心で思っていても口に出せません。日頃からおそばに仕えたことがない者は、陛下の信頼がないことを恐れて、めったなことは口に出せません。また地位に恋々としている者は、ヘタなことを口にしたらせっかくの地位を失うのではないかと考えて積極的に発言しません」。世の道理である。
太宗は、「もっともだ」とうなずき、「わしも反省し、今後とも広く胸襟を開いて諫言を受け入れるつもりだ。どうか、お前たちも要らぬ心配などせず意見を述べて欲しい」と返したものの、その後も臣下との真のコミュニケーションは停滞した。
初心に戻れ
治世の12年、太宗は41歳で油が乗ってきた。内政、外交も安定し、自信を持って魏徴に聞いた。「近ごろのわしの政治は依然と比べてどうだろうか」。肯定的な返事を期待したが、魏徴からは厳しい答えが返ってきた。
「確かに異民族からの朝貢が増えた点から言えば、貞観の初めと比べて勝っているでしょう。しかし、陛下の徳が国内に深く浸透し、民が喜んで陛下に心服しているかというと貞観の初めに比べて劣っています」と歯に衣着せず批判した。
「異民族が服従するのはわしの徳を慕ってのことではないか」とムッとする太宗に、魏徴はズバリ指摘する。「かつて四方が平定されなかったころは、陛下も徳を心がけておられました。しかし、天下が定まって愁いがなくなるや、次第に驕り高ぶるようになりました。功績は大きいとはいえ、かつてには及びません」。
さらに辛辣な言葉が続く。「治世の初めには、陛下は人が自分の意見を言わないことを恐れて、進んで諫めの言葉を聞こうと努めていました。やがて人の諫言に出会うと、喜んでそれに従うようになりました。ところが、ここ一、二年はどうでしょう。人の諫言を喜ばず、努めて聞くようにされていますが、心中は穏やかではなく、人が意見するのを嫌がる様子が見受けられます」。諫言制度が形式的になっていることを直言したのである。
翌年、魏徴は、太宗が以前と比べて倹約の精神に欠け、贅沢で気ままになってきたことを憂い、具体例を挙げて十箇条にまとめ、上奏文を提出した。最後には、「この上奏が、一つでも陛下の役に立てるなら、死んでも悔いはなく、甘んじて刑を受け入れる」と覚悟をしたためた。
身命を賭して、「初心に帰れ」と訴えている。
太宗は、この上奏文を屏風に作って日々眺め、反省の素材とした。四年後、魏徴は世を去る。彼の上奏は遺言となった。遺言の相手は太宗一人ではない。その後1400年、世のリーダーたちに突きつけられた匕首(あいくち)として読み継がれ、反省を迫り続ける。
慢心と慣れを排しての「守成」(創り上げた組織の維持)は、それほどの難事なのだ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『貞観政要』呉兢著 守屋洋訳 ちくま学芸文庫
『貞観政要 全訳注』呉兢著 石見清裕訳注 講談社学術文庫
『中国宰相・功臣18選』狩野直禎著 PHP文庫