今月は岡山の人気店『鮮寿』を紹介したいと思います。
『鮮寿』は2貫400円(税別)でおまかせ一本でやっているユニークな寿司店なのです。
客単価6,000円くらいでマグロと雲丹がありません。
こちらのオーナーの福瀬智広さんとはたいへん長い付き合いで、「夢―商通信」という名称で冊子を製作していたころに「飲食道」というテーマで連載をいただいておりました。その福瀬さんから今後の展開について相談にのって欲しいということで、『鮮寿』という業態について話をお聞きしてきましたので、掘り下げてみたいと思います。
福瀬さんは島根県の隠岐の島で中学校卒業後、松江商業高校に行きました。
三年生の時、アルバイト先の社長から和食の道をすすめられました。
学校ではパソコンなどの情報関係の情報処理科で学んでいたので畑違いではありました。しかし、自分自身の最終的な仕事にして良いか疑問もあり、そんな時に和食の店を出したらどうだ、と提案され、じゃあ、そういうところに就職してみようと思い、広島の『酔心』に就職しました。
しばらくして岡山に転勤になりました。『酔心』では5年間修行しました。和食を一通りやったので、寿司の勉強をしてみたいと思ったのですが『酔心』には寿司部門がありませんでした。それで岡山の寿司屋の『喜怒哀楽』で2年ほどお世話になり、寿司をマスターしました。
その後、妻の経営している美容室が人材難となり美容室を手伝いました。妻としては美容師として夫婦でやればよいと思っていたようですが、私の性に合わなくて嫌で嫌で、どこでも良いから夜アルバイトさせて欲しいとお願いして、近くにあった回転寿司店でアルバイトすることになりました。
そのバイト先の会社がどんどん店舗展開をしているタイミングで、寿司を握れるし和食もできるということで、(妻の店は辞めて、)社員になりました。いい加減なものですがすぐ店長になりました。その会社には8年お世話になりました。回転寿司の店長という仕事についたことがあとでとても役に立ちました。
最初は結構価格帯の高い回転寿司でしたが、経営のやり方がまずくてどんどんどんどん安物を扱うようになり、一皿100円の回転寿司に変貌してゆきました。価格帯が下がると客層もどんどん悪くなってゆき、底辺の人が来るようになりました。罵声を浴びせられることもあり、店舗がめちゃくちゃになってゆく流れをみました。
そうしたときに、真っ当なお客さんが来店されて、私に「あなたはちゃんとしたしたところで修行されたんでしょ。なんでこんなところにいるの? 恐ろしい時代になったもんじゃな」とおっしゃいました。その言葉がもの凄い響いて、独立を決心しました。
岡山の回転寿司で勤めていた教訓に、開業時からお客様に主導権を与えないというコンセプトがあったそうです。また、回転寿司とふつうの寿司店を経験したので、融合させたような店をつくろうと考えたそうです。
こちらが良いと思ったものをお客様が選ぶのではなく、これどうですか、これどうですか、とこちらのほうが主導権を握った商売をやらないと今後、ダメなんじゃないかと思っていました。それで、大阪の梅田に『奴寿し』という寿司屋があると聞き勉強に行ってきました。そこが『鮮寿』のおまかせの原点のような店で、当時、二貫一皿300円で出していて、一個、一個違うネタが出てきてストップするまで出てきました。楽しいなと思いました。
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