■身近だから「当たり前」に
名古屋での仕事のついでに、熱田神宮を初めて訪ねた。地元では「熱田さん」と親しまれている神社である。
熱田神宮は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が亡くなる前に留め置いたという三種の神器のひとつ「草薙神剣」を祀る。明治時代には、伊勢の神宮に次ぐ「格別に尊いお宮」とされていた由緒正しい神社だ。
参拝前に地元の知人と合流した。熱田神宮には何度もお参りに来ているので案内してくれるという。鳥居をくぐり、19万平方メートルある境内を歩く。街の中心部に位置しているにもかかわらず、楠などの樹木に囲まれた参道は静寂に包まれている。ここが名古屋市街であることを忘れてしまいそうになるほどだ。歩くこと10分、本宮に到着。
立派な社殿は、一部に金などの装飾も施されており、ピカピカに輝いている。しかも、建物のスケールが大きい。「うわー、巨大だなあ!」「名古屋城のシャチホコも金ピカだし、名古屋の人は金が好きなのかなあ!」と、筆者が一人はしゃいでいると、知人がポツリと言った。「何回も来ているから何とも思わないけど、初めて見る人にとっては感動するものなんだね」
ちなみに、参道の途中にある樹齢約1000年の大楠に筆者が見とれているときも、知人は「こんな立派な木があることに初めて気づいた」と言った。いつも身近にあると、案外それが当たり前のように感じてしまうのかもしれない。
■名古屋近郊では貴重な源泉かけ流し
その夜は、尾張温泉に投宿した。名古屋駅から近鉄名古屋線の急行で1つめの近鉄蟹江駅で降り、タクシーで5分。住宅なども多い市街地の中に、数軒の宿が点在する小さな温泉地だ。
宿泊した「湯元別館」は、離れ6室のみのこぢんまりとした和風旅館。名古屋の中心地から近いこともあり、ビジネス客の宿泊も多いという。ちなみに、同じ経営の「湯元館」のほうは食事が自慢の料理旅館で、観光客がメインだ。
湯元別館を選んだのには理由がある。名古屋近辺では貴重な源泉かけ流しの湯が楽しめるからだ。都市部で本格派の温泉に出会えるチャンスなどめったにない。
男女別の浴室は、3人も浸かればいっぱいになってしまう岩づくりの湯船がひとつ。はっきり言って浴室のつくりは平凡だが、うれしいことに湯船から絶えず温泉があふれ出ている。湯の投入量もかなり多いようだ。
わずかに茶色がかった透明湯は、若干の甘い温泉香を放つまろやかな湯。しばらく湯船に浸かっていると、徐々に全身に小さな気泡が付着しはじめる。気泡がつく湯は、新鮮な証拠でもある。スベスベとした肌触りも印象的だ。
夜、日帰り客が途絶えた静かな浴室で一人湯浴みを楽しんでいると、名古屋ではなく、里山の一軒宿に来ているかのような錯覚に陥る。
■1泊で5度も入浴
泉質は単純温泉なので数字上の成分は濃くはないが、ほどよく個性がある。こういう湯に出合うと「家の近くに、こんな温泉があったら毎日入りに来るのに」といつも思う。日帰り入浴で通える地元の人がうらやましい。すっかりこの湯が気に入った筆者は、朝晩で計5度も入浴してしまった。
翌日、宿の主人に駅まで車で送っていただいた。筆者が「毎日入りたくなる湯ですね」と温泉のすばらしさを力説すると、主人はちょっと戸惑った様子を見せて、こんな話をしてくれた。
「私は子どもの頃から毎日入っているので、実は、当たり前すぎてよくわからないんです。泊まったお客さまが温泉の質をほめてくださるので、『やっぱり良い温泉なんだ』とあらためて実感できるんですよ」。
自分では当たり前だと思っていることでも、外の人から見たら魅力的に感じることもある。案外、自分のまわりにも自身が認識していない魅力が眠っているかもしれない――。こんなことに気づかされた旅だった。