子供に対して期待をしない親はいない。ましてや自分の会社に子供を入れていたら尚のことだ。
しかし、その親の情を真に理解している子供は少ない。私は立場上、やれ、「ウチの社長は」などと、父親に対する愚痴をいままで散々聞かされてきた。
東京にある洋食店の話だ。ここの会社は、創業者である父親が一つの看板メニューで会社を伸ばした。そのメニューを食べに日本全国からお客様が列をなして来るほどだ。
あるときお店がテナントで入っているビルが売りに出た。そのビルを「買う」「買わない」と親子で大喧嘩をした。
固定資産への考え方は世代によっても随分と違うものだ。会長である牟田 學もそうだが、戦争で家が焼けるなど、住むところに苦労をしたり、食べる物に苦労をした経験があれば、そういったものに執着することは当然のことだ。それが人間だろう。
それはある程度、下の世代が理解をしなければいけない。それを分かっていない者が多い。
この親子の喧嘩は長く続いたが、父親は息子の反対を押し切ってビルを購入した。元々口数が少ない親子の関係は、この件をきっかけにさらに冷え込んだ。息子は会うたびにこの件についての愚痴を言った。
数年後、父親は急死をした。息子は急遽社長に就任した。もめていたビルをどうするのかと見ていたが、息子は売りはしなかった。父親があれほど固執したビルを手放し難かったのだろう。文句を言いながらも、そのままにしていた。
そうこうしているうちに事件が起きた。東日本大震災だ。
福島の第一原発の影響で、東京も計画停電が行われ、電機は間引きされ、看板の電気は消え、人々は贅沢を控える傾向に走った。飲食店は昼食こそ人は入るものの夜はさっぱりだった。これは5月のゴールデンウィークまで続いた。
社長は「『これで、社員の給料を払えるのだろうか』と背筋を冷たいものが走った」と言う。
しかし、実際は社員に変わらず給料は支払われた。
それは、自社ビルのテナント料があったからであった。落ちた売り上げの全てではないが、毎月入金されるテナント料のお陰で苦しい期間を乗り越えることが出来たのだ。
社長は、父親が何故これだけビル購入に固執をしたのかこのときに初めて気づいた。「誰よりも社員のことを考えていたのは父親だった。いままで、自分は大学も出ていない父親のことを心のどこかで馬鹿にしていた。しかし、本当に馬鹿だったのは自分だ。自分は、まだまだ父親の足元にも及ばない。もっと本当の経営を学ばなければいけない」そう言って、私の前で社長は涙を流した。
父親というのはいつも一言足りないものだ。その足りない一言を付け加えるのは息子の仕事だ。それが親子の「上手な情」というものだ。
兄弟でも、姉妹でも同じだ。同じ教育を受けても、同じ食事を食べて育っても、育ち方は人によって違う。精一杯の善意をかけても伝わらないこともある。知識の教育よりも、まず何よりも重要なのは情の教育だ。
情とは全てを超えるものである。
※本コラムは2019年2月の視点を掲載したものです。