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老舗「徳川商店」永続の秘密(9) 朝廷の権威を利用する

指導者たる者かくあるべし

 家康が仕組んだ安全装置

 15代260年を創業者家系で繋いだ老舗「徳川商店」の長期運営が可能だったのは、初代徳川家康の巧みな統治機構の仕掛けによるものだった。
 家康が開いた幕藩体制で、江戸本店が治める直轄地は全国の領地の4分の1足らずで、残りの土地は、時代によって改廃はあったが独立採算の約300藩の経営に任せた。要所の3か所(尾張、水戸、紀州)には、同族優良子会社を置いた。また、全国制覇以前からの忠臣たちが統治する譜代大名を要路に配置して、徳川家と距離を置くかつてのライバル大企業(外様の雄藩)を牽制するシステムをとった。
 こうした地方分権体制を安定させるカギは、いかに江戸本店への求心力を確保するかにかかっている。全国の土地は将軍家が所有し、各藩の大名、本社直属の旗本、有力寺社に自治領有権を与えることと引き換えに、徳川本社社長への忠誠心と、賦役の義務を強制することで求心力の確保を狙った。自治領有権を与えるとはいっても、各藩大名、寺社へは強い人事権を行使する。家康から家光までの3代で、見せしめとも言える厳しい人事権行使を見せつけて、徳川一極政治を築き上げていった。
 家康が力を入れたさらに重大な仕掛けがある。天皇を頂点とする朝廷との関係である。日本というこの国の形が芽生えた7世紀終盤以来、この国を統治するのは天皇であった。鎌倉、室町と武家政権が幕府を開いて政治を取り仕切ったが、朝廷(天皇)が任官する征夷大将軍に政治運営を委任する形式をとった。徳川時代も同様だ。天皇の下に将軍権力が存在する。家康は巧みに、この力関係を逆転させた。これが権力永続のための最大のスタビライザー(安定装置)として機能することになった。

 持ちつ持たれつ

 武力で全国を制覇したとはいえ、武家権力は基盤が弱い。ライバル武家たちがいつ反旗をひるがえすかもしれない。家康は、武家政権に欠けている「権威」の裏付けを、古代からこの国を統治する権限を持つ朝廷(天皇)に求めた。しかし、天皇を政治的権限から遠ざけなければ混乱する。聖なる権威と俗なる権力のバランスという難作業を家康は生前に築き上げようとした。
 彼は、1615年(元和元年)の大坂の陣で豊臣政権を完全に葬り去ったあと、間髪を入れずに「禁中並公家諸法度」(きんちゅうならびくげしょはっと)を発布する。その中で朝廷の政治機能を制限し、天皇の勅許(ちょっきょ=許可行為)、宣下(せんげ=命令)は、事前に将軍の承認が必要であると規定した。天皇の権威を独占的に徳川将軍が利用できるようにした。
 また朝廷を構成する公家の役割を、学問、有職故実(ゆうそくこじつ=朝廷儀式の風俗、伝統の伝承)に限定し、政治から遠ざけている。将軍の代替わりごとに天皇が派遣する勅使も下座から将軍に対面させ、権力の上下関係を内外に可視化させた。天皇は、国家統治者ではなく、祭祀を通じた国家統合の象徴に封じ込められた。現在の憲法による象徴天皇の地位と同じだ。
 一方で、朝廷の祭祀、儀礼に関わる諸費用は幕府が拠出し、公家の知行(土地所有)も将軍から認められた。
 こうしたアメを併用した幕府の巧妙な朝廷コントロールには典型的な例がある。天皇の代替わりに行われる大嘗会(だいじょうえ)は、応仁の乱後、朝廷財政の逼迫と権威の下落で、9代にわたり200年余り行われておらず、その再興が朝廷の悲願だった。これを、第5代将軍・綱吉(つなよし)は、規模を縮小した上での挙行を認めた。221年ぶりのことだった。
 権力の安定のために天皇の権威が必要な幕府と、戦国時代を通じてジリ貧となっていた天皇権威の再興を狙う朝廷は、その後も幕末まで持ちつ持たれつの蜜月時代を過ごす。

 大政奉還と王政復古

 徳川商店の経営統治の根幹は、たとえそれが建前であれ、天皇から経営を任されているという「大政委任」の考え方で貫かれている。その意味では幕府も尊皇派である。天皇の権威無くしては、存続できない。
 幕末、攘夷の嵐が吹き荒れる中で、幕府はその立場を問われることとなる。「もはや、幕府には政治は任せられない」と叫ぶ倒幕派が権力奪取に動く中で、最後の将軍・慶喜(よしのぶ)は最後の賭けに出た。自ら「大政奉還」を願い出たのである。この時点で、慶喜の胸中には、新時代に添うべく、有力大名と朝廷による諸侯会議という集団合議指導体制に移行し、徳川商店もその中でしかるべき地位を占めようとした。最後の将軍となっても、店仕舞いだけは避けて生き残る戦略だ。しかし、歴史はもうひと転がりする。
 薩長主導で間髪おかず「王政復古」のクーデターが仕組まれ、徳川商店外しが強行された。鳥羽伏見の戦いで、賊軍討伐軍に天皇が与える伝統の「錦の御旗」がクーデター軍に翻った段階で、徳川の時代は終わりを告げた。幕府によって長年、政治から排除されてきた朝廷内の不満公家たちを巧みに取り込んだ薩長側が、「玉(ぎょく)=天皇権威」を手に入れたことで勝負あっただ。家康が、玉を手中にして政権を安定させたように。
 クーデター阻止に動くには、もはや、これまで幾度も体制の危機ごとに現れて徳川商店を支えてきた番頭はいなかった。
 時代の転換期に起死回生の一手を打ちそびれて消えていく老舗の末路とは、いつの世でもそうしたものである。   (老舗「徳川商店」永続の秘密、は今回で終わります)

(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com

※参考文献
『江戸幕府と朝廷』高埜利彦著 山川出版社
『日本の歴史18 幕藩制の苦悶』北島正元著 中公文庫

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