menu

経営者のための最新情報

実務家・専門家
”声””文字”のコラムを毎週更新!

文字の大きさ

人間学・古典

第27人目 「岸信介」

渡部昇一の「日本の指導者たち」

 ヒトラーの閣僚だった人が戦後のドイツの首相になる、ということは考えられない。
 ところが日本では対アメリカ・イギリス戦争をはじめた東條内閣の商工大臣、次いで国務大臣・軍需次官(軍需大臣は東條首相が兼務したので実質上の軍需大臣)という重要なポストを占めていた人物が、敗戦後わずか十二年後に―――A級戦犯容疑として入れられていた巣鴨プリズンから釈放されて八年後―――日本の首相になった。その人物こそ岸信介である。安倍晋三幹事長の母方の祖父である。
 このこと自体がナチス・ドイツと戦前の日本の本質的違いを示す良い例なのであるが、ここでは戦前・戦中の花形役者でありながら戦後も最も重要な政治家になった人物を語ることによってそれを示してみよう。
 第一次世界大戦こそはシュペングラーのことばを借りて言えば「西欧の没落」を示した超重大事件であった。この大戦争は全体戦(トータルウォー)という概念を産んだ。この戦争によって、国民の人的・物的全資源を徹底的に動員する体制を作ることが絶対に必要であることがわかったのである。
 一番早く実行したのはスターリンのソ連であり、ヒトラーのドイツであった。日本でも軍部はそれに気付き、部内では計画案を作っていたが、日本全体としては平和で民主主義傾向の強い大正デモクラシーであり、陸軍も四個師団、つまり全体の五分の一を削減し、海軍も作りかけの軍艦を沈めるというような国際協調・平和主義のよい時代を楽しんでいた。
 しかしアメリカの排日移民法成立(一九二四)、ホリー・スムート法による超高関税障壁という貿易阻害で引き起こされた大不況(一九三〇)、更にイギリスのオツタワ会議(一九三二)による自由貿易廃棄などで、日本の近代工業国家としての存立は危うくなった。一方、満洲の外にはソ連が軍備を強化し、共産主義を浸透させ大陸での反日運動を煽動する。
 このようなときに商工省にいた岸信介は、今までのような日本の自由主義経済体制では、アメリカ・イギリスによって自由貿易が否定された世界で日本はやっていけないと洞察し、国家社会主義的な制度を考える。
 これは第一次大戦後、軍部がずっと欲していた体制で、岸は軍部の受けがよくなる。そして満洲国が建国されると「二キ三スケ」(東條英機、星野直樹、松岡洋右、鮎川義介、岸信介)の一人として活躍し、短期間に満州国が日本以外のアジアでは最も輝かしい発展の地とするのに貢献する。
 新しい国を造るという体験を持っている人は少ないだろうが、岸はその稀なる体験の所有者になった。戦後の日本の建て直しに特別に有能であった理由の一つもここにあると言えよう。
 その能力を見込まれて東條内閣に商工大臣として入閣する。次いで戦時の物資動員のすべてを扱う軍需省をまかされる。この間、総選挙があったが、立候補して当選する。
 大臣は官僚でないから、直接に国民の信任を受けるべきだと考えて立候補したのである。今なら堺屋太一経済企画庁長官や竹中平蔵金融経済大臣や川口順子外務大臣が立候補して選挙の洗礼を受けたようなものである。岸の立憲的性格は戦時中にも示されたことになるだろう。
 サイパン島が陥落すると、岸は軍需物資の面から戦争続行は不可能だといって東條内閣を倒す(明治憲法には首相は規定されておらず大臣一人がゴネると内閣は辞職しなければならない)。この時に日本が講和交渉に入っておれば、という仮説も成り立つが、それは難しかったであろう。
 戦後はA級戦犯容疑者とされ米軍に投獄され、最後に釈放される。入獄中の手記を見ても日本が一方的な侵略国だったというような発想はない。だから出獄後、公職追放解除となるや、直ちに堂々と政治活動にのり出し、昭和三〇年(一九五五)に自民党結成の時の幹事長、二年後に首相となる。
 戦後は西ドイツのアデナウワーと会い、その急速な復興の秘訣を悟る。つまり外交的には対米関係第一、内政的には徹底的に反共産主義、自由貿易立国を自民党の根幹とする。
 憲法改正も党の基本方針とする。アイゼンハウワー大統領とゴルフをする姿は、敗戦日本がアメリカとイコール・パートナーになったことを世界に印象づけた。日本をアメリカの占領状態から解放するために、安保条約の改訂を計る。
 これは東側(ソ連や中国共産党)に不利なものであったから、その方面の使嗾を受けていたと思われる日本の左翼勢力の猛反対に会い、国会周辺には連日空前絶後の大デモの浪が押し寄せたが、岸の信念は動かず、強行採決をして安保条約は改訂され、その基盤の上に今日までの日本がある。
 強大なソ連軍が日本付近に配備されていた時代も、日本の平和が保たれていたのはこのためである。また岸は、小選挙区による二大政党制を説いていたが、ようやくこの頃、その方向に進んでいる感じが出てきた。もう一つの主張であった憲法改正は依然として日本の政治の咽喉に刺さった骨になっている。

渡部昇一

027kishi.jpg

〈第27 人目 「岸信介 」参考図書〉 
「岸信介証言録 」
原 彬久 編著
毎日新聞社 刊
本体2,800円

 

第26人目 「渋沢栄一」前のページ

第28人目 「ヒンデンブルグ」次のページ

関連記事

  1. 第23人目 「大久保利通」

  2. 第4人目 「ビスマルク」

  3. 第5人目 「石田三成」

最新の経営コラム

  1. 朝礼・会議での「社長の3分間スピーチ」ネタ帳(2024年11月20日号)

  2. 第七十八話 展示会後のフォローで差をつける「工場見学の仕組みづくり」

  3. 第219話 少人数私募債の相続対策

ランキング

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7
  8. 8
  9. 9
  10. 10
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7
  8. 8
  9. 9
  10. 10

新着情報メール

日本経営合理化協会では経営コラムや教材の最新情報をいち早くお届けするメールマガジンを発信しております。ご希望の方は下記よりご登録下さい。

emailメールマガジン登録する

新着情報

  1. 戦略・戦術

    第166号 多様化する「お試しサービス」
  2. サービス

    106軒目 「地方の和食店で飲み放題付き5,000円を脱却するヒント 味あら井(...
  3. 税務・会計

    第22回 「決算書一式お願いします。」と銀行が言っても、全部渡してはいけない
  4. 経済・株式・資産

    第5回 工場で勝つ「プリマハム」
  5. 戦略・戦術

    第237号 機会損失を減らす「注文受付時間」とは
keyboard_arrow_up