軍を解散し非武装国家に
ロシアによるウクライナ侵攻以来、イスラエル軍によるパレスティナ・ガザ地区への民族抹殺に近い無差別攻撃、さらにイスラエル・イランの交戦と世界は軍事をめぐるキナ臭い激動の時代に入った。北大西洋条約機構(NATO)は、加盟国に対して軍事費の対GNP比5%への引き上げ方針を打ち出したのも、こうした不安定な時代への対処だ。
平和を希求するのはどの国でも同じだ。しかし、一度国益が対立すれば一方的に対立国に攻め込まれる危険は常にある。最近の世界で起きている事態はそれを如実に示している。これまでに見てきたスイスでもオーストリアでも、それに備える国防力の整備は怠らない。
そんな世界にあって、1949年に憲法で常備軍の禁止条項を定めて以来、非武装を貫く国がある。中米にあって南北アメリカのくびれ部分に位置するコスタリカ共和国だ。1983年には積極的永世中立を内外に宣言している。非武装永世中立を貫きつつ積極的に地域平和に関与する稀有な国だ。なぜそのような国家運営が可能なのか。
不安定なラテンアメリカ諸国に囲まれて
コスタリカは、南にパナマ、北にニカラグアという政情不安定な国に挟まれた人口約500万人の小さな国だ。1821年にスペインから独立、大統領制を敷き、一院制の国会を備える共和制民主主義国家としてスタートした。
転機は1948年の大統領選挙だった。選挙結果は野党候補の勝利が確定したが、与党は選挙の無効を宣言し、内戦に発展した。6週間の戦いの末に野党指導者のホセ・フィゲーレス・フェレールが政府軍を破って勝利すると、翌年制定された新憲法で、「常設的機関としての軍隊は禁止する」として軍を解散し、その機能は警察組織に引き継がれた。
ラテンアメリカの国々の多くで国軍は国防軍としての機能より、内乱防止用の政治機能を担っている。コスタリカでも軍は旧与党の強い影響下にあり、軍廃止は、その根を絶つためと理解された。
しかし、フィゲーレスは1953年の大統領選挙で勝利すると、「兵士の数だけ教師を」を合言葉に、軍事予算を教育予算に振り向け、教育国家を目指す方針を鮮明にする。常備軍廃止の予算効果は著しく、国防費は教育、福祉、経済基盤整備に回されて国力は充実していく。
積極的中立政策と平和の輸出
また、政治的にも軍の廃止によって、コスタリカでは、他のラテンアメリカ諸国で見られるような軍を背景とした軍事クーデターは一度も起きていない。大統領も連続二期の再戦は禁じられ、権力の集中、独裁防止も制度化されている。
常備軍を廃止したからといってコスタリカがラテンアメリカ地域の地域紛争から距離を置き、ただ内にこもったわけではない。1965年にカリブ海のドミニカ共和国で共産主義勢力による反乱が起きると、コスタリカはブラジル軍とともに、平和維持軍に国境警備隊を派遣。また、1978年に隣国ニカラグアでソモサ独裁政権に反対するサンディニスタ民族解放戦線が全面蜂起した時には蜂起を支持し、ニカラグア革命を支えた。
1983年には、ルイス・アルベルト・モンへ大統領が、「コスタリカの永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言」を行い、非武装中立による積極的な地域平和への関与姿勢を明らかにしている。非武装でも「平和の輸出」はできるという国の方針を示した。
続くオスカル・アリアス・サンテス大統領は、アメリカによる中米に対する強硬な反共政権育成方針に強く反対し、ニカラグアの米軍支持勢力がコスタリカ国内に設けた基地を撤去するとともに、域内の住民の意思に基づく平和の定着に努力した。この功績によって、アリアス大統領は。1987年のノーベル平和賞を受賞している。
(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考資料
『コスタリカ 「純粋な人生」と言いあう平和・環境・人権の先進国』 伊藤千尋著 高文研





















