東郷平八郎率いる第一艦隊が戦域に引き返し第二艦隊と合流した後、連合艦隊は日の暮れまでバルチック艦隊を砲撃で叩きに叩いた。
機関停止した旗艦「スワロフ」から脱出した敵艦隊の司令長官、ロジェストウェンスキーの乗る駆逐艦も後に捕獲される。
夜は駆逐・水雷隊が夜襲をかけ、二日目は日本側の一方的な追撃戦となり、残余のロシア艦隊は白旗を掲げて降伏した。
東郷が練りに練った丁字戦法と大胆な敵前大回頭という戦術面ばかりが勝因として強調されるが、真の勝因は決意の差にあった。
戦力的には互角。明治天皇から「勝てるか?」と下問されて、「必ず勝ちます」と答えたものの、東郷にここまでの完勝の自信があったかどうか。
東郷が心に期したのは、たとえ連合艦隊が全滅しても、バルチック艦隊のウラジオストク入港だけは絶対に阻止するという明確な決意であった。それを全将兵に徹底させた。
海戦に先立つ4月17日、東郷はこう訓辞している。
●「士気が戦果に関係する。戦場では味方を不利に見やすい。敵七分、われ三分と思うときが実際には五分五分である」
「ひるむな」ということだ。
●「積極的な攻撃は最良の防御だ。砲術におけるわが練度は、はるかに敵に優っている」
「自信を持て」と促している。
ロジェストウェンスキーはというと、航海中に旅順艦隊の壊滅を知り、「極東への回航に意味はあるのか?」と、幾度かロシア皇帝ニコライ二世に「回航中止」を提案したが、拒否されている。逡巡が支配していた。
一人悩み、胸に描く戦術は側近の参謀にも明かさなかったという。
決戦直前の指示は、「艦隊は敵と交戦しつつ常に機を見て北航の行動をとる」。敵をかわしてとにかくウラジオに逃げ込めという。敵を撃滅する決意も、戦術上の準備もなかった。
さて東郷。海戦前に策定した「戦策」で細かく戦術を指示している。
その中にこうある。
「第二戦隊(艦隊)は(中略)敵の運動に注意し、或いは第一戦隊に続航し、或いは反対の方向に出て」、機動的に敵に当たれ、と。
勝利を決定づけた第二艦隊の、とっさの判断による「われに続け」の分離行動も東郷の術中に示されていた。
あとは、部下の戦意と練度そして判断を信じることが東郷の仕事で あった。
事前の準備もないままに、本番になるや細かく現場に指示を繰り返し、「なぜ俺のいうことを聞けぬ。だから負けた」と責任を転嫁する、ワンマンリーダーシップの弊害はどこにでもある。
真のリーダーシップはその対極にある。