【意味】
これは官(国家)の酒ですから、差し上げるわけにはいきません。
【解説】
太祖:趙匡胤(ちょうきょういん)と曹彬(そうひん)のやり取りで、『宋名臣言行録』のものです。趙匡胤は自分が皇帝になる前には将軍として前王朝の後周の皇帝世宗に仕え、一方の曹彬も酒と茶を管理する官吏として世宗に仕えていましたので、その頃のエピソードです。
ある日、官吏として酒の専売をする曹彬のところへ、趙匡胤が酒を無心にきました。趙匡胤は後に酔い潰れているところを皇帝に祭り上げられたといわれるほどの酒好きですから、曹彬に酒をタダでもらおうと掛け合いにきたのです。この時温和な曹彬は、掲句をもって趙匡胤を諭し自腹で酒を買い飲ませたといわれます。
後に皇帝になった趙匡胤は、「世宗の旧吏で主君を欺かなかったのは、独り曹彬のみ」として高く評価し、腹心の一人として要職に大抜擢しました。
曹彬が酒専売の官吏だった時代は、唐滅亡(907)から宋成立(960)に至る五代十国という戦乱の時代です。この乱れた時代をまとめたのが、後周の幼帝:柴宗家訓(さいそうくん:世宗の子)から禅譲を受けた北宋の初代皇帝となる趙匡胤です。それまで王朝交代は、有力な家臣が皇帝を殺害し新王朝を立てるものでしたが、趙匡胤は柴一族を子孫の代まで手厚く保護しました。そして北宋時代はそれまでの軍人に代わって官僚による文治主義になりますが、曹彬の活躍はその例といえるでしょう。
菜根譚の冒頭に「道徳を棲守する者は、寂暴たりとも一時なり、権勢に依阿(いあ)する者は、万古に凄涼(せいりょう)たり」とあります。
道徳を守っている者は、不遇に在っても一時だけであり、権勢におもねる者は、一時の栄華に恵まれても結局は後々の人生を寂しく過ごす破目になるという教えです。
曹彬のように日頃の道徳観念がしっかりしている者は、天下の王朝の交替があっても、先方から人物を求めてやってくるという良い例です。曹彬は69歳の生涯を閉じるまで軍事面の責任者として貢献していますから、趙匡胤も人物鑑定眼のある名君であったと思われます。
道徳観念は「申し訳ないという日常生活での反省の土壌から生まれる」といわれます。
実は私自身も早朝坐禅中にふとこの掲句を想い出しながらハッとしました。万一いつも部屋にお茶を運んでくれる女子職員から、「このお茶は学園のお客様用であって、学園長の個人嗜好趣向のものではありません」と言われたら、なんと答えるのかと・・・。
考えてみれば趙匡胤の酒と私のお茶とではさほどの違いはありません。大いに反省し、何年も続いていたお茶汲みを廃止しました。
しかし人間とはおかしなもので、お茶が飲めないとなると無性に欲しくなります。そこで自宅から携帯ポットを持ってきて、こっそり湯沸かし室でお茶を入れて自室に運ぶことにしました。しかし女子職員に入れてもらう湯呑茶碗のお茶の方が、情緒があり数倍おいしいのは否めません。