【意味】
茶碗や急須は、夫々の個別用途の使い方しかない。しかし君子の才能は個別的な使い方でなく、多面的に応用できる「柔軟自在な応用能力」として育てなければならない。
【解説】
この掲句を解説するたびに、筆者は60年前の「父からの教え」を思い出します。
海抜400mの山中に生まれ、中学校時代には往復12kmの林道を通いました。ある日の帰途父と一緒になり、林道の土橋の上から小便をする13歳の息子に、父は諭しました。
「中学生にもなって、そのような勿体ないことをしてはいかん。小便は自家製造の肥料だ。土橋から沢にする小便は気分がよいかもしれないが、なぜウチの山(林道沿いの我が家の持ち山)の木に掛けないか。木が育つではないか。杉の木よりも高値で売れる檜に掛けよ。途中で我慢できなかったら、親戚の持ち山の木に掛けよ」と。お蔭様で小便を通して「柔軟自在な応用能力」を発揮するコツを教わりました。(このような教えを「庭訓」と云います)
こんなことも教わりました。陽射しの中の土埃にまみれたミミズを見て「このままでは干上がって死んでしまう。道端の葉っぱで掴んで湿気のある草むらに移してやれ。ミミズにも人間と同じ仏の命がある。お前の行いはお釈迦様と同じレベルの立派な行いだ」と。
主宰する「人間学読書会」は33年目を迎えますが、未だに指導法に悩んでいます。しかし尋常小学校出の父が、息子に「論語の生き様」や「命の大切さ」を見事に教えています。
ここで改めて父の薫陶を受けた13歳の息子(筆者)が、その後の60年間をどのように生きたかを検証してみます。自慢に繋がるような部分もありますがご容赦ください。72歳の現在、父の教えにより「自在で積極的な生き方ができたこと」を心から感謝しています。
筆者の略歴は、(1)高校3年間は下宿生活、(2)その後銀行勤務の5年間で人物書・歴史書・金融を学び、(3)退職上京し税理士資格等を独学し、(4)結婚を機に地元に戻り40年間、税理士事務所での経営指導・専門学校15校での若者教育・人間学読書会での人育て教育をし、現在に至ります。仕事の傍ら早朝や休日を使い大いに勉強や修行をしました。
この間に(5)取得資格は大小21種、(6)学問領域は、簿記会計学・法律税法学・経営経済学・金融学・旅行地理学・宇宙学・人間学(論語・菜根譚・言志四録等)・歴史学・宗教学・坐禅など、(7)運動は、スキー・テニス・ゴルフ・卓球・社交ダンス、最近は一日階段登り300段・散歩8,000歩など、(8)著書・CD講演録・雑誌原稿・生き方講演などもかなりの量です。
筆者が仕事の合間に広範囲な学問修行ができたのは、父の教えの他にもう一つの秘密があります。実は表面上は違う学問領域でも、その基礎部分は地下水脈で繋がっていることを発見したからです。例えば、経営経済学と旅行地理学では、各国の人口・面積・気候風土などは共通の基礎項目ですが、学問の領域が広がればこの共通基礎項目も広がりますから、比較的簡単に新分野の学問に挑戦できます。
最後にお釈迦様の忠告を紹介します。受け入れるか否かにより人生が変わります。
「奇なる哉、奇なる哉。一切衆生、皆悉く如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着なる故に証得せず」(ビックリすることだが、全ての人々には如来並みの凄い才能が秘められている。ただ本人の開発法が下手くそであるから、その才能が開花しない)