【意味】
誰でも教えにより、天与の秘めた才能が開花する可能性がある。だから学ぶ側も教える側も賢愚・貧富・地位・境遇の差などで教育の機会を限定的に考えるべきではない。
【解説】
一万円札で有名な福澤諭吉翁は、明治時代を代表する教育者・啓蒙思想家です。
教育者としては、慶応義塾を創設し塾生に「野に下れ!」(安泰な官吏になるより民間に下り起業せよ)と説き、多くの実業家(藤原銀次郎・小林一三・松永安左衛門等)を輩出しました。一方啓蒙家としては、欧米派遣使節に3度も加わり、鎖国で世界事情に疎い当時の国民に新しい精神(独立自尊・実業精神・実利実益等)を説きました。
この福澤翁の教育名言に次のものがあります。
「教育の要は、人生の本来に無きものを造りて、之を授くにあらず。唯有るものを、悉く皆発生せしめて遺すことなきに在るのみ」(福澤諭吉)
「唯有るものを・・発生せしめ」とは、どのような意味合いなのか?・・・それは、「生来の秘めたる能力」を開発するのが教育で、その能力をしっかりと身に付けさせれば、必要な情報知識は自然に身に付くという考え方です。
お釈迦様も別な角度から、人間として生きるための土台部分の重要性を説いています。「奇なる哉、奇なる哉。一切衆生皆悉く如来の知恵徳相を具有する。只、妄想執着なるが故に証得せず」(釈迦)
びっくりすることであるが、全ての人物が「如来のような素晴らしい才能」を生れついた時から秘めている。しかし残念なことに各人が我欲執着心を先行させるために、その優れた才能の保持に気付かない。
落語に「親に学が有りませんので、息子のあっしも生来の大ばか者で・・」と自己卑下する熊さんが出てきますが、熊さんとは逆に福澤翁もお釈迦様も「生来の優れた才能」を肯定し、その開発の重要性を説いています。掲句の「教え有りて、類なし」には、教わる側に生来の才能を自覚させ、教える側も学ぶ者の可能性を境遇により見限るなという意味が込められています。
我が国も一昔前は国全体が貧しく、多くの人々が高等教育を受けることができない社会情勢でした。それ故に掲句は、「学問の志は有るも貧乏な環境に育った者」にとっては、この上ない勇気を与えてくれる言葉でした。筆者もその一人でした。
【筆者体験】筆者は、福澤門下の実業家・松永安左ェ門の著書『人間・福澤諭吉』を所有しています。裏表紙に「1965年11月購入・20歳」と書かれています。50年前の銀行の寮入居時代に購入したものです。1965年は東京オリンピックの翌年で社会にロマンがありました。
当時の筆者は仕事にも励み、同僚との酒席や深夜麻雀もこなし、一方では大いに読書もしていました。また当時出版界では実業家(松永安左ェ門、藤原銀次郎・松下幸之助等)の書いた人生成功体験書が多く出回り、『人間・福澤諭吉』もその中の一冊でした。
そして福澤翁の「独立自尊」や「野に下れ」(安泰職場を辞して起業家を目指せ)の言葉に刺激され、筆者は23歳で銀行を退職し、なけなしの資金を持って上京し、独立開業を夢見て高卒学歴で受験できる税理士試験に挑戦したのです。