実は、震災前の2007年~2010年ころに、蕎麦店からのコンサルティング依頼や問い合わせが多かった時期がありました。その中でも、機械で打っていた蕎麦を手打ちに変えて苦しまれていたかたのお手伝いをしたとき、蕎麦店の難しさを、実体験をもって勉強させていただきました。また、お任せになる池田さんの息子さんは、蕎麦はおろか、天ぷらを揚げたこともなかったので、ホールサービスに気を取られないで運営したい、という要素も背景にありました。
品揃えですが、横浜市瀬谷区の郊外ということで、お子様向けにうどんも品揃えして、「そば、うどん」という文言をショルダーに入れ、ある意味、保険をかけてスタートしました。
そして、大きめのかき揚げをのせた「天ぷらそば」を次に食べていただきたいメニューにして、券売機のレイアウトをました。
また、サラリーマンのランチや、ファミリーでも利用できるように、天丼、カツ丼、とろろ丼なども充実しました。オープン当初は、昼に集中したため、初めての蕎麦店ということで、オペレーションに慣れないこともあり、こなすので精一杯。提供時間も15分くらいかかっていました。
売上も3万円前後の日々が続きました。
オーナーの池田さんは何度も商売を立上げてきたので、慌てず、「じっくり店を作っていきましょう」とおっしゃいました。
2015年以降は月商350万円にまでなる月が出てきました。
そこで、蕎麦のパッケージのコンサルティングを本格的に始めたわけです。
少子高齢化社会ということと、ヘルシーブームで蕎麦には、震災前にお手伝いしていたときとは全く違う追い風が吹いています。そのため、飲食店に参入したいかたから多くのご用命をいただくことになりました。
ただし、良いことばかりではありません。
札幌の駅界隈や広島の立町界隈では、こちらの店の成功要因を見落としたために、失敗しました。
その後、再度『瀬谷そば』の成功要因をもとに試行錯誤して、「こうすればうまく行くだろう」という仮説を加えた広島廿日市市の『十兵衞』でコツがわかり、姫路の『姫そば』では昼だけの営業で20万円になるパッケージとなりました。
今春、札幌や広島の町中の店での失敗を活かして、有楽町のガード下に都心型の店をオープンさせます。




















