苦しい進軍を続けるナポレオンはモスクワ攻略に全てを賭けた。飢えに直面する兵士たちも「モスクワさえ落とせば、諸君には安らかな休息と帰国が待っている」という皇帝の言葉に期待をつなぐしかなかった。
「ロシア軍に戦意はない。聖都を失えば、首都ペテルブルグを攻めるまでもなくロシアは瓦解する」。
ナポレオンはそう読んで、モスクワの城壁をめぐる戦いが、大遠征の締めくくりになると信じていた。ところが…。
モスクワの西郊に布陣していたロシア軍は、フランス軍に使者を送って、撤退の意を伝え、その到着を前に姿を消した。モスクワを通過してさらに東南方向へ撤退したのだ。
モスクワ放棄を決めたロシア軍の参謀会議は、当然のことながら、軍の面目と名誉を巡って紛糾した。総司令官のクツーゾフは、激論を引き取って言った。
「なあに、モスクワがスポンジになって奴の水分を吸い取り干上がらせてくれるさ」
クツーゾフには勝算があった。時間をかければ、遠征軍の兵力は減るばかりだが、電撃侵攻に虚を突かれたロシア軍は新兵が続々と補充されつつある。
さらに、10月ともなれば寒風が吹きやがて雪。11月から先はフランス軍が経験したこともない氷の大地に閉じ込められる。
9月15日、ナポレオンは無血でモスクワに入城し、クレムリンの宮殿に入った。
宮廷の贅を尽くした調度に囲まれて眠りについた彼は、翌未明、側近に起こされる。
「街の数か所から火の手が上がっております」。久しぶりの酒盛りで騒ぐ兵士たちの失火だろうと取り合わなかったナポレオンもやがて青ざめて猛火のモスクワを離れた。
モスクワ総督のラストプチンが撤退に際して配下に命じていた計画的放火だった。消防車、消火設備はすべて破壊されていた。火は折からの強風にあおられて街をなめ尽くす。
翌日、市街の三分の二が灰燼に帰したモスクワに戻ったナポレオンは、「なんという国民だ。野蛮人め!」と吐き捨てると同時に、「ロシア皇帝が泣いて講和を求めてくるまで、モスクワに居続けるぞ」と命じた。
ペテルブルグにナポレオンが放った講和の使者が向かったが、なしのつぶてだ。
「ナポレオンはロシアでの敗北を運命づけられている」。
強気のロシア皇帝アレクサンドルに妥協の道はなかった。刻々と冬の足音が近づいていた。
(この項、次回に続く)