交渉においては何を要求として提示し、どこまで獲得してよしと
して妥協するかが重要だ。そして落としどころを悟られてはならな
い。
日露戦争後のポーツマス講和会議で、日本側の要求は、12か条に及ぶ詳細なものだったが、要約すればおよそ次の順序だった。
1.韓国の保護国化承認とそれに対する不干渉
2.ロシアの満州からの撤兵
3.サハリン(樺太)の日本への割譲
4.ロシアは遼東半島の租借権とハルピン―旅順間の鉄道を日本 に譲渡
5.ロシアは戦費を日本に払い戻す
6.極東におけるロシア海軍力の制限
日本全権の小村寿太郎は、ロシア側に、それぞれの条項について答えるように求めた。
各項目は、ほぼ事前に日本本国から指示された内容だが、1と2については、「絶対的必要条件」であり、サハリン割譲と戦費の賠償は、「比較的必要条件」とされていた。
日本政府としては、領土、賠償で交渉が暗礁に乗り上げ長期戦化することだけは避けたかった。
仲介役のルーズベルトは会談前に「今が講和の時だ」と小村を説得し、戦費賠償について「戦費払い戻し」と表現を和らげさせ、ウラジオストクの武装解除の項目を削らせる。
小村の強硬姿勢を知る日本政府首脳は、交渉決裂を懸念し、「談判不調の場合もその場で決裂せず訓令を仰げ」と釘をさしていた。
しかし小村は、比較的必要条件のうち、サハリン割譲を要求の上位に潜り込ませる。
日本側の要求を見たロシア全権のウイッテには、交渉の成り行きを予測できた。賠償要求がサハリン割譲より後退していることから、日本側の賠償へのこだわりは弱いと見てとったのだ。
小村がサハリン要求の優先度を上げたことで、かえって交渉の手の内をさらしてしまった。本音での落とし所が最初から見えては交渉にならない。
ウイッテは交渉経過について回想録でこう書く。
「私があまり横柄な態度で議論するので、ある時、小村全権は私に向かって『貴下はいつでも戦勝者のような口調でものを言う』と言った。私は『(今回の戦争では)今日の段階で、戦勝者などはない。だから戦敗者のありうる道理もない』と答えた」
「自分たちから講和を望むような態度は見せない」という姿勢を貫く。
小村のいら立ちが透けて見える。
交渉の主導権は完全にロシア側に握られた。 (この項、次回に続く)