指導者たるもの、個人の情にとらわれていては大局を見誤り、成功は覚束ない。
恩讐を乗り越えて、父を死に追いやった敵将マシニッサの甥を敵陣に送り届けたローマの将・スキピオは大胆な戦略の変更を考えていた。
「南イタリアに籠るハンニバルの軍を打ち破るのは難しい。となれば、敵の本拠である北アフリカに軍を進めるべきだ。そうなれば、カルタゴはハンニバルを本国に呼び戻すに違いない」
戦局を一気に転換するために敵地をつく。かつてハンニバルが考えついた大胆な発想だ。スキピオは、どこまでも敵将ハンニバルに学ぶ。そして実行に移す。
スキピオは、最高行政官で二人制で全軍を指揮する執政官に立候補する。まだ30歳。経験が求められる執政官就任は40歳からとの不文律をたてにローマ元老院は抵抗する。
しかも、おひざ元のイタリアでハンニバルに手を焼いている現状でアフリカ進撃などもってのほかと長老たちは反発する。
スペインからカルタゴ勢力を駆逐したスキピオはローマに戻り、元老院で力説した。
「私は若いが戦場経験はある。これまで成功してきたことも、必要であれば変えねばならない。今こそその時だ」
カンネーでの大敗北以来、決戦を避けて持久戦法を取り続ける元老院に対する忸怩(じくじ)たる思いを隠し、「成功」と持ち上げたうえで変更を迫る。
強い自信の表明とともに、長老たちの面子を決してつぶさない。若い指導者が組織を動かし変革を成功に導く鉄則である。
元老院はスキピオの執政官立候補を特例で認め、「北アフリカ侵攻は翌年以降」と条件を付けてまずはカルタゴとせめぎあいが続くシチリアに送り込んだ。
大胆な戦略変更には、確実な勝利への裏付けが必要だ。
カルタゴの息の根を止めるためには、敵の主戦力であるヌミディア騎兵を無力化する必要がある。
彼らを味方につければ、敵の力を削ぐとともにこちらの戦力も増す。“行って来い”で彼我の戦力を逆転させる妙案ではないか。
捕虜となった甥を送り返した恩を活かしてヌミディア騎兵隊長のマシニッサに会い、「ともに戦おうではないか」と寝返りを持ちかけたが色よい返事はなかった。
シチリアで過ごした一年間、スキピオは軍備を整えながらカルタゴ国内の政情について情報収集に専念する。 (この項、次週へ続く)