交渉の落ち着く先は妥協、双方の譲歩である。
逆にいうと、妥協のない交渉はないから、
通産相として日米貿易構造の転換点となった繊維交渉を担った田中
田中は繊維摩擦を日米二国間の問題に極限して捉えてはいない。
「繊維産業が戦後の経済復興を支えてきたが、
産業高度化だけでは済まない。
米国は本気だ。「輸出を適正な伸び率に抑えて、
1971年10月1日。日米交渉は暗礁に乗り上げたまま、
「さて、いくら必要なんだ」と田中。幹部の一人が答える。「
無理もない。この当時、通産省の年間予算の総額が2000億円で
一通り悲観的な報告を聞いた田中は言った。
「問題は…それだけなのか?」。返事はない。
「問題はそれだけなのかと聞いているんだ」と畳みかける田中。
「は、
「よし、わかった」とうなずいた田中は決然と命じる。「
電話口に総理、佐藤栄作が出ると、
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※ 参考文献
『早坂茂三の「田中角栄」回想録』 早坂茂三著 小学館
『田中角栄 頂点をきわめた男の物語―オヤジとわたし』 早坂茂三著 PHP文庫
『田中角栄の資源戦争』 山岡淳一郎著 草思社文庫
『日米貿易摩擦―対立と協調の構図』 金川徹著 啓文社