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- 故事成語に学ぶ(45) 羊をして狼に将たらしむ
後継者を取り替えようとする劉邦(りゅうほう)
組織というものがある限り、後継者の問題がつきまとう。血縁での継承とあればなおさら複雑だ。候補者二人のどちらに継がせるか悩むことになる。愛人に子があればまた心は揺れる。いや読者諸兄の話ではない。漢王朝を開いた高祖・劉邦の苦悩だ。
劉邦は皇帝の地位につくと、正妻・呂后(りょこう)との間に生まれた劉盈(りゅう えい)を太子に立てた。ところが愛人との間に生まれた子にご執心で、なんとか太子を取り替えようと試みる。呂后は気が気でない。家臣たちも気を揉んだ。ことによっては権力闘争が勃発しかねない。
愛人問題はさておいて、トップが後継を、私情でお気に入りに取り替えようとするトラブルはどこにでも起こりうる。
先代の将を動かせるのは先代
そんな時に辺境で謀反が起きた。劉邦は病床に伏せっていたから、太子を将軍としてこれを討たせようとした。太子が手柄を立てるチャンスだが、呂后の側近たちはこれに反対した。
「太子がたとえ軍功を挙げても後継の地位が安定するわけではない。功労なく戻っては大変なことになりますぞ」
「さらに」と側近たちは呂后に訴える。「太子に同行を予定している諸将は、皇帝と一緒に天下を取った猛将たちです。太子に彼らの指揮をとらせるのは、〈羊をして狼に将たらしむ〉(羊に狼の群れを率いさせる)ようなもの。誰も太子のために尽力しようとはしますまい」
先代の忠臣たちを動かせるのは先代しかいないーーこれは時代を超えて普遍的な真実であろう。
呂后は側近たちの意見を劉邦に伝える。そして言う。「謀反軍はあなどれません。ここは病気を押して陛下自ら出陣して指揮をとるべきです」。結果は、劉邦が車に伏せたまま軍を率いて精強の謀反軍を破った。太子には留守居の軍を固めさせ、太子交替論は沙汰止みとなった。
家康の後継問題に通じる知恵
この逸話を書きながら、徳川家康から二代目の秀忠への権力継承を想起する。真田攻めに手間取って天下分け目の関ヶ原の戦いに遅参した秀忠には、ぼんくらイメージがつきまとう。遅参に怒った家康は秀忠を許さず、豊臣方との闘争に決着をつけた大坂の陣でも、征夷大将軍の秀忠に指揮をとらせなかった。これが一般に理解されている徳川初代、二代目の確執物語である。
しかし、読書家の家康が劉邦のこの故事を知らぬわけがない。「三河時代から数々の激戦を共に戦った譜代の将たちを率いることができるのは俺しかいない」と家康が考えていた可能性はある。関ヶ原合戦後にくすぶり続けた後継者の差し替え論を退けて、後継者の経歴を傷つけることなく、安定的に権力を引き継ぐ方法を、家康は選んだのではないか。
対するに、子に恵まれなかった豊臣秀吉は、いったんは甥の秀次を後継に決めながら、淀君との間に秀頼が生まれると、秀次に腹を切らせて秀頼を世継ぎに据え、混乱の種を撒いてしまった。
後継者教育と安定した権力継承。なかなか奥が深いのである。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『世界文学大系 史記★』司馬遷著 小竹文夫、小竹武夫訳 筑摩書房
『 漢書4列伝Ⅰ』班固著 小竹武夫訳 ちくま学芸文庫
『漢書七 伝(一)』班固撰 顔師古注 中華書局