噴出する矛盾
強大な行政権限を自らに集中させたフランス大統領のド・ゴールは、1965年の大統領選挙、67年の総選挙に勝利し、権力基盤を固めたかに見えた。しかし内実は、高度成長を続けるフランス社会にさまざまな矛盾が噴出し、いずれの選挙でも、得票率は下落している。
矛盾はすべて、「強いフランス」に固執するド・ゴール主義に端を発している。経済面では、ドル防衛に走る米国に対抗するため、「強いフラン」を目指して、インフレ抑制のために労働者の賃金抑え込みにカジを切る。これが国民の間に不満を蓄積させていた。
政治局面では、国民議会軽視は、さらに強まっていた。67年総選挙後の内閣では、二人の側近閣僚が議席を失ったにもかかわらず留任させた。また、経済・社会改革に必要だとして、国会の承認を得ないまま法的拘束力にかけた行政命令を出し続ける。議会の空洞化を意図的に図り権力をさらに自分に集中させようとする。
権力を握れば、だれでもさらなる力を欲しくなる。そして「あらゆる権力は腐る」。それをチェックするのが議会だ。その議会を軽視する危険をド・ゴールのみならず、賢明なフランス国民も、「解放の英雄」の魔法にかけられていた。民主主義の権化とみなされてきたフランスでもこういうことが起きる。
爆発する若者たち
「王様は裸だ」と声を上げたのは若者たちだった。1968年、急増する学生数に追いつかない教育システムに矛盾を感じた学生たちが立ち上がった。政府は、パリ郊外の新設校で起きた抗議行動を「極左組織によるもの」として軽く見て、閉鎖措置をとったが、火は名門ソルボンヌ大学を含む学生街のカルチェラタンへと燃え広がる。1968年5月、警官隊と学生たちがバリケードをはさんで繰り返し激突し、パリは革命前夜の様相となる。政府の賃金抑制策に不満を持っていた労働組合組織も学生支援の街頭デモを始めた。「5月危機」と呼ばれている。
この時期、世界中で学生たちの反乱が起こっている。終戦直後に生まれた大量の「ベビーブーマー」たちへの無策が爆発を生んでいる。
労働者たちの待遇改善の要求もエスカレートし、ストライキに踏み切る。この時期ド・ゴールは危機を感じてパリを離れる。本当の危機だった。65年の大統領選挙で善戦した左派のミッテラン(後に大統領)は、「国家は消滅した。臨時政府を組閣する必要がる。必要なら、私は大統領に立候補する」と危機を煽った。
結局、翌月に総選挙を行うことで妥協が成立する。
得意の国民投票で権力の座を追われる
不思議なことに総選挙では、ド・ゴール派が絶対過半数を獲得してしまう。形を変えた国民投票だった。「物言わぬ国民は私を支持している」
ド・ゴールは、「混乱より安定を望む」国民心理を熟知し利用する。
自信を深めたド・ゴールは、69年2月、再び国民投票を行う。前年の危機の焦点の一つだった教育制度改革、そして地方制度改革に加えて奇妙な項目があった。上院改革だ。フランスは上院、国民議会の二院制だが、その上院を廃止して、律法権限を持たない諮問機関的組織に組み替えようというものだ。こうなるとド・ゴールの議会忌避は信念というよりある種の宿痾(しゅくあ)だろう。
自信満々で臨んだ国民投票の結果は、、、「ノン(拒否)」の票が52.4%を占め否決された。落胆したド・ゴールは、開票日当日の正午、退陣を表明した。18ヶ月後、この世を去る。
彼が議会より信頼してきた国民が突きつけたのだ。
「もう英雄の時代は終わったのだよ」と。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『ド・ゴール 孤高の哲人宰相』大森実著 講談社
『フランス現代史』小田中直樹著 岩波新書
『フランス現代史 英雄の時代から保革共存へ』渡邊啓貴著 中公新書