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挑戦の決断(29) 忖度(そんたく)は決断にあらず(明治維新と廃仏毀釈)

指導者たる者かくあるべし

 狂気の仏教抹殺
 地方の田舎道を歩いていると、首のないお地蔵さんや胴体を真っ二つに切られた観音さまの石仏を見かけることがある。中には「昔、剣豪が試し切りした」との話がまことしやかに伝えられているものがある。いかに剣の達人でも石は切れまいといぶかしんでいたのだが、実はこれらの「首切り石仏」たちの多くは、明治維新直後に吹き荒れた狂気ともいえる仏教抹殺運動(廃仏毀釈=はいぶつきしゃく)の痕跡なのだ。
 明治維新は、地方分権的な徳川幕藩体制を改め、天皇を中心とした中央集権国家の建設を目指す。維新を主導した長州、薩摩藩など出身の勤皇の志士たちは、思想的バックボーンとして、水戸藩が組み立てた〈尊皇攘夷思想〉を使った。幕末に海外を視察した“改革派”の武士たちは、新国家モデルとして英国型に目をつけた。神から国家統治権を委託された国王を中心にして、国家統合の精神的支柱としてキリスト教の国教会を据える。
 日本に置き換えれば、中心となる国王は、高天原からこの世を統治するべく天下ったとされる日本神話の主人公邇邇芸命(ににぎのみこと)の直系子孫である天皇になる。国教会にあたるのが、邇邇芸命の祖母である天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神とする伊勢神宮をトップとする全国の神社ヒエラルキーの再編成であった。素朴な自然崇拝だった伝統的神道の国家神道への無理やりの組み替えである。
 新政府は、慶応四年(1868年)3月13日、太政官布告によって〈神仏分離〉を命じた。なぜなら、日本では平安時代以降、仏教と神道は混淆、習合が進み、神社に仏像が祀られ、神社で僧侶が読経することも日常の風景だった。さらにわが国では、神社が祀る神々は、仏が姿を変えたもので、「本は仏で神は仏の仮の姿」(本地垂迹=ほんちすいじゃく)とする思想が根強く、神は仏の下位にあった。「これではまずい、まず神社から仏教色を取り除け」というのが、神仏分離令の狙いであった。
 太政官布告が発せられたのは、新政府軍が天皇から下賜された錦の御旗を掲げて幕府軍を追い、北伐を展開中のことで、軍の北上に合わせて布告は全国に伝わった。これが仏教抹殺運動の幕開けだった。
 
 国宝が三分の一に
 素早く反応したのが全国の神社の神官たちだ。仏教僧侶の風下に置かれていた鬱憤が爆発する。神社に祀られていた仏像を投げ捨て、あるいは破壊、焼却した。命令は〈神仏の分離〉にとどまっていたが、事態は寺院の打ちこわし〈廃仏毀釈〉へとエスカレートしてゆく。
 奈良では、春日大社と興福寺は一体のものだったが、興福寺の僧侶たちは僧籍を離れ神官として春日大社に奉仕した。無人となった同寺では仏像、仏具が売りに出された。現在では国宝である五重塔までも一時、売却され、取り壊しの寸前の事態に至る。
 奈良に暮らす筆者は、どの寺に行っても廃仏毀釈の恐ろしさを聞かないことはない。聖徳太子ゆかりで皇室の信仰が厚かった、現存する最古の寺院である法隆寺も例外ではない。多くの仏像が流出、何体かは海外へ流出した。
 前回触れたように歴代の天皇は仏教を信仰し、寺院を手厚く保護してきた。法隆寺で流出の危機にあった仏像の多くは、明治天皇が預かり、今は東京国立博物館に寄贈されている。神仏分離運動が過激化してゆくにつれ皇室も行き過ぎを止めようとして、民衆を巻き込んだ暴動は2年でようやく収まった。
 この狂気の廃仏毀釈がなければ、日本の国宝は今の三倍はあっただろうと言われるほどである。
 
 迎合主義の恐ろしさ
 明治維新の起点となった鹿児島県(薩摩)では一時、寺が消えたという。尊皇攘夷思想に感化されて廃仏毀釈運動が燃え盛った奈良県南部の十津川村では今も仏教寺院は一つもない。
 恐ろしいのは、リーダーが権限をふるって社会を誤導する危険である。近年の研究によれば、戊辰戦争で新政府軍に乗り遅れた諸藩において廃仏毀釈、仏教排斥運動は激しかったという。時代の激動期に出遅れた藩ほど、リーダーたちは失点挽回のため新政府の狙いを忖度(そんたく)して動いた。
 官僚社会でならば、忖度による素早い行動は権力者の覚えもめでたいかもしれない。近ごろの中央官庁の忖度、忖度の体たらくは目に余る。しかし忖度による素早い行動はリーダーとして取るべき決断の対極にある。
 新政府は、「廃仏毀釈は意図したものではなく、民衆の仏教寺院に対する不満が爆発したものだ」と、仏教弾圧の責任から逃げ続けた。問題は、皇室を含めて古来、神仏が共存してきた日本社会の伝統を無視して新国家のイデオロギー作りという政治的思惑でそれを破壊するリーダーたちの浅はかさである。
 失いかけた権力の奪還を狙って文化大革命を発動し中国社会を混乱に陥れた毛沢東の軽薄さは、よその国の話ではない。親や恩師を吊し上げ、多くの文化遺産を破壊したのは、決してリーダーの命令に盲動した紅衛兵の責任ではないのだ。
 
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『廃仏毀釈』畑中章宏著 ちくま新書
『神々の明治維新』安丸良夫著 岩波新書
『日本の歴史20 明治維新』井上清著 中公文庫

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